「私は何もない」と思う時
「私は何もない」
普段あなたは、このような事を思う事はありませんか?
「学歴が無い」「三流会社勤めで、安月給だ」「背が低く、走るのが人より遅い」「仕事が面白くない」「学校が面白くない」「自分が嫌いだ」「親が嫌いだ」「彼氏がいない」「彼女がいない」「車も買えない」「趣味が無い」「顔が悪い」「太り過ぎ」「痩せすぎ」「足が短い」「親も兄弟もいない」「お金が無い」「友達もいない」
「妻がいない」「夫がいない」「子供がいない」「親戚もない」・・・・
これらの1つでも当てはまると、誰でも嫌になります。
そして、これらがふたつ、みっつと重なってくると、ストレスは、頂点に達してきます。
1つでもそうなりますが。
そして、うつになったり、色々他の病気になったり、喧嘩したり、泣きわめいたり、物にあたって見たり、挙句の宛てには、自殺もあります。
心の平静さを失って、尋常でなくなってしまいます。
これも有れも重なるたびに「私は何でこんな不幸なのか?」「何でこんなことになったのか」・・・・「私には何もないじゃないか」と結論付けます。
さて。そうでしょうか?
少なくとも、これを見ている限りは、ホームレスではないでしょう。
ここからが人生の分かれ道にもなります。
「考え方を変えろ」と言われても出来ません。出来る位なら悩んでも、生活していけます。
しかし、ここから良くなるとは限りません。
多くの人が、悪くなっていきます。又はそのまま生きていきます。
ただ、一つ言えるのは、「今この瞬間は貴方は生きている」と言う事です。
大変失礼ながら、重い病気で先が無いのでもなければ。
事実「何もない」としても、「貴方は人間として生きている」のは事実です。
ならば、何とかして、毎日生活しているでしょう。
だから、<何もない・つまらない・嫌な人生だ>と毎日考えていても、生きるしかありません。その中で、ほんの少しでも、楽しみを見出すようにすることしかありません。
いくら他人がこうしろ・ああしろと言っても、いいことはその場限りが多いかもしれません。
でも、たとえそうでも、「何とか少しでも楽しく」を願って生きる事です。
ああしたい・こうしたいと言う夢だけは持って生きる。(かなわぬことと分かっていても)
そして、誰でもいいので、普段誰かと話すように努める。
・挨拶をする➡挨拶だけでなく、他の話も添える
・SNSでの友達を作る(変な友達はすぐ縁を切る)
・隣近所の人にしゃべる
・知らない人ともしゃべる
・旅行、仕事等遠出した時も、見知らぬ人ともべらべらと話す。
・話すときは、相手をベタ褒めする。
・話すときは丁寧でなくても、やさしく話す。
「誰かと話す」と言う行動は、楽しいものです。その場限りでも。人と話すのが嫌いと言うのならしょう有りませんが、それをしないと、孤独さが深まっていきます。
「何もない」と感じる時・感じている時には(普段でも)、「誰かと話す」ことが薬(その場限りでも)です。
勿論、貴方の心の特効薬でないことが多いでしょう。
それでも、その薬を飲む事=やる事です。
薬って、本来、「毒」なんです。
貴方に、合うかどうかわかりませんし、「毒」だからかえって悪くなるかもしれません。
が、今すぐ、それを飲んだから=誰かと話したから、余計に悪くなることはあっても、死ぬことはないでしょう。(たぶん)
それ以前に考えることが1つあります。
貴方は、「人間としてこの世に生まれて来た」と言う事です。
それは、他の生きものにはない最大の幸せです。
一度くらい、それを考えてみましょう。
「なにもない」と考える事が出来ること自体が、人間だからです。
他の動物では出来ません。
淋しがると言うぐらいは出来ますが。
兎に角生きていくことです。何もなくても、
「性懲りもなく生きていく」ことです。
これが生きている人の生きる為の必要最低限の考え方です。
同じ事を繰り返しますが・・・
楽しみ・悲しみ・怒り・苦しみ・・・…その繰り返しのなかででも、性懲りもなく生きていくことです。
其れしかありません。
人も動物も主物も、命あるものすべていつか消えるのです。
そうであれば、少しでも元気で長生きする事が必要です。
何も無くても、貴方という存在がある事を確かめられること自体が素晴らしいことなのです。そんなこと思えない・考えられない・・・かもしれません。
そうであっても何であっても、生きていくしかないです、
性懲りもなく。
「性懲りもなく生きていく」しかありません。