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伊予・郡中の街並みと建築

2017.10.03 15:11


伊予市伊予鉄郡中駅のあたりに灘町・湊町という町があります。

このあたりは松山藩との領地交換によって大洲藩の商港として整備された有数の港町として栄えました。

街の特徴としては、地割りが細長く奥行き60間(109m)のところも。間口が4.5~6間くらいなので、めちゃくちゃ細長い。これは日本でも有数の大きさとのこと。

写真はGoogleマップより。奥行の長い建物が並び、地割りが今日にも生き続けているのが分かります。


この辺りを歩くと古い建築物を目にすることができます。よく観察すると、江戸期のものをはじめ、明治・大正・昭和とそれぞれの時代の節目を象徴するようなものが点在し、町の繁栄の歴史を物語っているようです。


宮中酒店

明治時代に建てられたとされる、宮中酒店。


来良夢(こらむ)

明治44年(1911年)に建築された、旧 伊予農業銀行郡中支店。現在は郡中まち元気サロン「来良夢(こらむ)」という名の街づくり施設として利用されています。


ミュゼ灘屋

ミュゼ灘屋は、伊予の灘町を開いた歴史につながる宮内小三郎家を改修した施設。江戸時代に建てられた住居で、建築的な価値とともに、地域にとって重要な文化財といえるでしょう。今年2017年に改修工事が完了し、ギャラリー・ミュージアム・コミュニティスペースとして生まれ変わりました。


栄養寺


その宮内家の菩提寺として建立された栄養寺。栄養寺という寺号は他に例がなく、栄養という言葉が日本で使われた例としては最古であるそう。山門は1845年に建てられたもの。


濱田屋

昭和8年の建築。卵とじのカツ丼がおいしかった!


萬安港旧灯台

港に面して、石造(花崗岩)の旧灯台が建てられています。明治2年(1869年)に木造のものから改築され、大正元年(1911年)に現在地に移築されたものです。