2022年
2022年、本年もよろしくお願いします。
2021年12月18日に30歳を迎えましたが、そこで、所属していた劇団をやめました。
また、10年間吸い続け、いつも一緒にいたタバコ、セブンスターとお別れをしました。
新年の挨拶から、いきなり去年の振り返りだなんて、陰気くさい気もするが、このブログじゃ何も書いていなかったものだから、書いておくだけ書いておく、ということにするんだ。
さて、2022年が始まって、私はしばらく働き詰めで、ようやっと本日、1月11日にして、正月休みを得た、というような気分。世の中は鏡開きというんですか?私は、タバコをやめてなお美味しく感じるようになったお酒とつまみをPCの前で貪って、amazon primeで映画を見ている。
2年前の1月、マスクをせずに、僕はキャラクターショーのショーマンだった。あの頃は、なんて振り返り方、年老いた気分になってしまいそうだが、あの頃は、思慮のかけらも、他者の存在も僕の中にはなかったような気分だ。
コロナが流行ってからというものの、人に会う機会は滅法へったか、と思ったが普段からそんなに会わないし、対して変わらない。けれども、誰かに会うというハードルは格段に上がったから、他者の存在が昔より恋しい、必要性が増した。唯一コロナにありがとうを言えるとしたら、人恋しさを増大させてくれたこと。他者が私にとって、何より大きな財産なのではないか、と、僕は本当はそんなキャラじゃないのに思い始めてきた。
他は、全く大変なことばかりだ。
2022年は、増大した人恋しさを使って、いろんな遊びや、作品作りを、していこうと思う。今私は、所属団体を飛び出してしまった、特によりどころがない、好きなところに住める、通過するだけでもいい。凝り固まった頭も、肩も体もほぐして、今まで手に入れたものを使って、見たことないところ、行ったことのないところへ入ってゆきたい。
手を繋いで、もしくは肩を組んで、その相手は誰でも良いのだ、一緒に来てくれるなら。必要最低条件は一緒に来てくれることそれだけだ。冒険の旅、ほど派手ではないけれど、かといって地味な散歩でもない。
一俳優として、与えられたものを演じるだけの、請負仕事じゃ、私は芸術家を気取る必要がなくなってしまう。気取ってるわけでもないんだが、この俳優という仕事はartだと思うからこそ、少なくともここからの10年は、目の前に広がる世界、その少し向こう側にある世界、もっと遠くにある世界、世界全てを見回して、ものを作っていきたい、そういう意識で10年を生きてみる。そのために、不用意に閉ざさない。僕が知っている、そして使ってきた孤独は、20代の特権の孤独だ。30代の孤独ではない、そんな気がする。青臭い孤独、は一旦忘れることにする。
さあて、抽象的な決意表明をしたからこれからまず1年元気に表現しよう。
今年の初めは食べ物の写真。
会ったことはないけれど、矢野杏子さんからいただいた豆菓子とのり。豆菓子をウイスキーと。めちゃくちゃ美味しい。写真のはしっとりチーズ。その上にあるのは、うちにあった播磨屋の煎餅。
今年も一年よろしくお願いいたします。
井上嵩之