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Kanade's ROOM

最期を迎えるということ(ペットロス)

2017.10.06 06:03

※フリー画像使用




ペットちゃんたちは私たちよりその命が短いです。

それは誰もが分かっていること。


少しでも元気に長く生きてほしい。

そう願ってやまなくても、その"とき"は来てしまうのです。


それは闘病の末、かもしれないし

突然、かもしれない。


突然の場合、後悔は増すと思います。


うさちゃんは捕食動物。

つまり、自然界では食べられる身。

なので、弱っているところを見せたがりません。

もし、自然界で弱っている姿を見せてしまうと、すぐに食べられてしまうからです。

元気を装うのです。

なので、気付いたときには手遅れだった。

ということも多くあります。



初代うさのみっくすがなくなったとき。

それはみっくすが体調を崩して2日後のことでした。

あまりに急なお別れ。

そして、最期を看取ることが出来ませんでした。


後悔 や してあげたかったこと はたくさんありました。

たくさん、たくさん、ありました。


もっと早く気付いてあげれば良かった。

もっと早く病院に連れていけば良かった。

もっとたくさん一緒にいたかった。

もっとたくさん遊んであげれば良かった。

もっと大切に接してあげれば良かった。

こんな飼い主でごめん。

一緒にいる時間を作れなくてごめん。

最期 一緒にいられなくてごめん。


深い悲しみ と 後悔。


だけど、朝、母から

「みっくすがなくなってるよ」

と告げられたとき。

そのときはまだ、悲しみはなかったのです。


信じられなかったから。


"死"という言葉とその意味を知っていても、それを経験することがなければ、その本当の意味は理解できないのです。

そしてそれはある程度の年齢でなければいけない。


数年前、私が中学生のころになくなったペットにたいして、私は結構あっさりとしていました。

悲しいには悲しいけど…


時が立ち、19歳になった私は"死"の本当の意味を知ることになりました。


みっくすはしんだ。

しんだ。しんだの?

もう…動かないんだよね?

もう…一緒に遊んであげられないんだよね?


"死"を認識するのに少し時間がかかりました。

たぶん、看取れなかったからこそなのだと思います。


"死"を認識してしまったら、涙が溢れてやみませんでした。

ずっと…

ずっと…

その日、私は3分の2を泣いて過ごしました。

翌日も、翌々日も、みっくすのことしか、うさぎのことしか考えられない。

頭のなかがそれだけになってしまったのです。



当時、夏期休暇中だったのですが、命日の翌日は成績発表で、所謂登校日でした。

行きも帰りも、車のなかでみっくすを思っては泣き…

どうしてこんなときに学校なのかと憎んだ。


でも、そんなとき、母は私に言いました。

「学校があったらばたばたしちゃうから、休みの日をみっくすは選んだんだろうね」

と。


みっくすは優しい子だった。

おおらかで、心が広くて…

私たちのことをそっと見守ってくれていた。

そんなうさだった。


 「みっくすは実里の悲しむ姿を見たくなかったから、そんな状況のまま、いきたくなかったから、実里が寝ている時を選んだのよ。きっとそう」

母の言葉は温かく、みっくすの性格を感じさせるものでした。



6日経って、ようやく心の整理がついてきたかと思いましたが、それはただただ見ぬふりをしてただけで…

1週間後、また深い悲しみに襲われたのでした。


結局2ヶ月間。

私はみっくすを思い、泣きました。


そんな私を立ち直らせてくれたのは、ちょこ。つまり、もう一匹のうさでした。


みっくすがなくなってから、暫く、ちょこは食欲が減退していました。

それがひどく恐ろしかったのですが、徐々に食欲を取り戻し、私を笑わせてきました。




愛する家族をなくすこと。

それは深い悲しみと後悔。

ですが、それは経験になるのです。

私は同じ後悔をしないようにと…

ちょこを以前の何倍も愛することにしました。

愛せば愛するほどに別れは悲しい。

だけど、愛さなければまた同じ後悔をする。

突き放せば別れは悲しくないけれど、ちょこはそれで幸せなのか…





悲しければ泣けば良い。

それをバネにして、強くなればいい。


みっくすは私に教えてくれました。

その、小さな身体で。

その、短い命で。





みっくすがなくなる前の晩。

実は少し動くようになっていました。

私はそれが"回復に向かっている"と勘違いしていました。

でもそれは"最後の力を振り絞り笑顔を届けてくれていた"のです。

だから、今年、ちょこが体調を崩したとき、元気になっていってるのを喜ぶ反面、これはどういう意味なのかと、悩み、考えました。





ペットロスは辛く、悲しいものでした。

これまでとは比にならないくらいに。

だけど、それはそれだけその子を愛していたということです。

愛していたのです。

大切な家族だったからこそ、悲しかったのです。


もし、ペットロスに悩んでいる方がいらっしゃれば、それは誇りに思って良いと思います。


それだけ愛していたということだから。





私は専門家ではありません。

偉そうに言える根拠はどこにもない。

これは経験論です。



でも、心の整理をするとき、

写真を眺めてみたり、

簡単なスライドショーを作ってみるといいかなと思います。

私も簡単なものを作りました。

泣きながら(笑)

出来上がって見直しても泣いてました(笑)

その悲しみを、辛さを乗り越えるからこそ、もっといろんなことを学ぶことが出来るのです。

↓ 私が作ったのはこちらです。本当に簡単なものですが(;'∀')


悲しくても、怖くても、

時は流れていくんですよね。


人生、平等なのは

“生まれて死ぬ”ということと

“時”だけ。

私はそんな風に思っています。


だからこそ、今を大切に…

愛するペットちゃんとの時間を大切に…

していただきたいなと思います。




次回は“お別れ”について書きます。

なくなったときにとる行動や、お葬式、火葬等についてまたまた経験談を基に書きますので、そちらもお読みいただければと思います。



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奏実里🍀

2017/10/06