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酵素で生きる。

生き方と終い方。

2015.11.12 13:13




答えも正解もない。



ないからこそ、やんわりと思考してみる。



そこには精神論やら宇宙感・宗教感、はたまた哲学まで及びそうな話だが、

敢えてそういった視点ではなく、極々シンプルに考えてみる。



生と死。 陰と陽。 表と裏。 左と右。 +とー。 量と質。 天と地。





知人のご主人が心筋梗塞で突然亡くなった。一切の前触れなく。

もう10ヶ月前のことになる。自宅で睡眠中に還ってしまった。

健康オタクで、各地の自転車レースに参戦しまくっていたほど

体力にも筋力にも優れ、健康管理には厳しくしていたとのこと。

お酒もタバコもいっさいなし。

アンチ健康な面は削ぎ落としていたらしい。

人間ドックも進んで受診していた。

その検査で、早期ガンが発見された。ステージは0~Ⅰ。

治療方針も決まった矢先のことだった。


誰もが予測不能。


朝方3時4時くらいに突然大きな叫び声を発したまま心停止に。

何が起きたかのさえ、家族一同わからなかったはずだ。





著者の義姉も同じような状況だった。もう、5年も前の話になる。

チョコレート膿腫に、皮膚筋炎(難病指定)、そして肺がん併発

集中入院治療を経て、自宅療養・通院になり一時帰宅した直後だった。

お風呂上りでの心筋梗塞

まったく苦しんだ様子もなく極めて穏やかな顔だった。


義姉は大学病院近くの実家に独り暮らしだった。叔母が近所にいたので、

毎日のように会っていたのだが。 翌朝連絡しても応答が無く、義妹が実家へ

出向いての発見となった。バスタオル姿で、ソファーに横になっていた。


これもまたまったくの予測不能。


義妹からの電話で急遽家族・親族全員ピックアップして出向いたのだが、

状況すらまったくわからない。義妹もパニック状態に。

義父がボソッと車内でつぶやいた。

「病気を悲観して・・・いっちゃったのかなぁ。。。。」と。

全員、聞かなかったことにした。



これらの突然死というものは、本人も家族もまったく予期していない。

想像すらしていないことだから。


ただただ、その「瞬間」に苦しむ時間が短かっただろうと推測されます

という検視医の言葉がなによりもの救いだった。


こころの準備など出来るはずも無い。
受け入れ態勢などあろうはずもない。


まさか!まさかの終い方。


それぞれの人生で、自分らしい「生き方」は出来ていたと思う。

そうであったと、切に思いたい。

でも、予期しない「終い方」になってしまった。




「死」の受け入れは極めて難しい。



突然死という予告なしの別れ。



有限でカウントダウンされる別れ。



どちらが良いかなど、論じても意味は無い。

良い悪いという観点すら間違いなのだから。



ただ、著者個人的には「折り合い」がついたのが好ましいかな。


納得できるかどうかという曖昧なものだけど。


「生き方」に関して、

自分との「折り合い」がついているか?


「終い方」に関して、

自分の人生に悔いなし!という「折り合い」が付いているか?



長生きが充実しているという人生観など持ち合わせていない。

質と量のバランスで「折り合い」をどうつけるか。


と、かっこいいことをいいながらも、

著者の場合は、局面で無様なまでにジタバタすると思う

人生の「終い方」をまったく考えていないから



すべてに対して準備万端整いました。などは有得ない。

中途半端なことばかりだし。

やりたいことは、煩悩の塊のようにあるし。

心配なことだって宇宙規模である。



「終い方」。


自分だけの問題ではない。

家族や友人、会社関係などなど実に複雑。

それらすべて完璧に「折り合い」をつけることなんて不可能だ。


でも。


でもね。


「終い方」を定めておくことは、

最低限のココロの満足は得られるんじゃないか。


流行の「終活」「エンディングノート」だって然り。

重要なことはキチンと記して伝え残す。

キモチだって、ひとりひとりに記しておく。

最低限の準備を整理しておくという安心感かもしれない。


それぞれの価値観。

家族であれ、親族であれ、友人であれども、みんな違うからこそ。

その価値観の違いは、「尊厳」ということで認めてほしいものだと。



どこにも正解などあるわけない。



誰かが記していた。

「伝えたい想いがある時」こそ「その想いを伝えるタイミング」だと。


言葉にすることで、感情も一気に溢れてくる。

そういう、「お話し合いの時間」をいかにとれてきたか。


そういう準備の積み重ねが、「終い方」に繋がるんだろうなと。


誰しも悔いの無い「生き方」、そして「終い方」をしたいはず。


どの立場になっても「死」というものを受け止めるには難しい。



自分らしい「人生の終い方」。


それを定めるのも、「生き様」(生き方)なのかもしれない。




◇◇◇ つづく ◆◆◆