第六回:斎藤一
前回の沖田総司に続き今回は斎藤一です。
新撰組三番隊組長として活躍しました。
この方も沖田総司と並び新撰組の撃剣師範(剣術指導係)です。
局長の近藤勇、副長の土方歳三からとても信頼され、新撰組内部の粛清を数多く行いました。まさに暗殺剣の使い手です。
身長も180㎝あったとかで大きい人だったそうですね。
剣の腕も相当なもので、同じく新撰組最強と謳われる永倉新八からは「斎藤は無敵の剣」と評されています。
斎藤一の剣の流派は一刀流とも無外流とも言われており今一不明ですね。
ただ、聖徳太子流の吉田道場にて師範代を務めていたそうですね。
津田一伝流や、関口流も修めています。
19歳で始めて人を斬り、池田屋、天満屋事件、戊辰戦争、新撰組での多くの粛清、西南戦争と新撰組の中でも最も多くの死線を潜り抜けました。
戊辰戦争では最前線で戦い、会津藩が降伏したあとも戦い続けていたため松平容保の使者の説得でようやく投降したそうです…
ちなみに西南戦争でも、敵から大砲2門奪取する活躍を見せたと当時の新聞で報道されたそうです。
警視庁にいた頃には剣道の試合にも参加したようで記録も残っていますね。
ただ、実際に"斬り合う"実践と、"打ち合う"剣道では技術も違ってきますので参考にはあまりならなそうですね。
彼は東京高等師範学校で学生に剣術を教えていたようで、
結構な高齢なのに学生は誰も斎藤の竹刀に触れることすらできないほど強かったんだとか
ちなみに斎藤の得意技は左片手一本突きと言われています。(この事から左利きかと思われがちですが、右利きであったというのが最新の研究です。当時の突きはだいたい諸手か左片手なんだとか)
土方歳三が実戦では最も突きが有効だと考え新撰組ではみんな突き技を重点的に修練されていたようですね。
後に天覧試合で優勝する剣道家の山本忠次郎も若い頃、突きの稽古をしている時に、年老いた斎藤一の突きを見て驚愕したというエピソードが残っていますね。
(具体的には缶を突く練習をしていた忠次郎のそばを斎藤が通りかかり、忠次郎の竹刀で缶を突いた。缶は揺れることなく貫通していた。というもの。)
まあ、ちょっと誇張されている所はあるけど、まんざら嘘でもないかも知れないですね。ちなみにこの話をすると一部の人はビール缶を想像されるかも知れませんが、当時ビール缶はないので、大きな缶という想像の方が的を射ています。大きな缶であれば貫通するというのも有り得るかも…
彼の有名な言葉で
「真剣での斬り合いというのは相手がこう打ってきたからこう受けてというものではなく、ただ無我夢中で斬り合うのです。」
という言葉が残っています。本当に斬り合いをしたものにしかわからないですね。
まあ今回は
ランクC
で、いかがでしょうか。
沖田総司、永倉新八とともに新撰組の剣術指導を行っており、沖田総司と同等であったということでランクBです。
(ただ、いろいろな資料を読む限りでは"強さ"は別にしても、永倉、沖田、斎藤の順で剣の腕は高かったようですね。)ちょうど、歳の順ですねww