今いる場所を 愛する
愛国心、と言うと馴染み難いが、
今いる場所を大切にする、
当たり前のようで、つい見逃してしまう日常の風景を、出来ることのひとつとして考えてみる。
たいそう壮大な夢を小さな頃から抱くように世間体では言われ、学者や大臣、医者に弁護士、と言うのが、大人が喜ぶ回答かと。しかしながら、大人になると望みも小さなるが、世の中大したことであまり動いていないな、と思う事がしばしばある。
企業経営、町医者、コンビニ、書籍売り、宅配業、どれも誠実な人が誠実に、自分が出来ることをしている。
私は長年育児をしていて、社会的評価になかなか晒される事がなく、その唯一の評価といえば、子供の学習や進学の結果、と言う事に繋がる。よって、世の親は子供の成果や人生を自分の手柄にしがちだ。しかし、子供と親は別物だ。
その結果は世間体では良いとされていても、自立に繋がらなくては意味がない。自分で稼いで、家事を行い、健康を保つこと。これができて初めて、自由を得られる。親子で頼り合い、支え合う人生は、どちらかが亡くなった場合、共倒れになる。親が二人必要なのは、一人が死んでも、もう一人が子供を守るというリスク分散の理にかなう。
子供を自立させる前に、自らが自立しなければならない昨今。男も女も役割、という区別がなくなりつつある。
そこで、自分には何ができるのか、という課題が生じてくる。ゴールを理想高く設定せず、今できる事を、身近で小さなところから見つける。そのために、今この時と場所を大切にすることから始める。
私は日本の夕暮れが大好きだ。空気や匂い、温度や風、光に音、全部合わせて、日本の夕暮れが一番懐かしく、帰れる場所、帰りたい場所だ。
自由な国だから、暮らし方はヨーロッパ風にしようと、北欧、アメリカ、アジア、どんなものに染めても構わない。しかし、取り囲まれている環境や空気、雲の色や光の差し方は、何千年も昔と変わらない。
私は今が大好きだ。秋の深まる、日本のどこか悲しげで、違う次元の世界に繋がりそうな怖い世界、狂気にさらされ世界、近未来と古の文化が混ざり合って、過去も現在も未来も全てこの一点に集中して存在している日本。
今、何ができるのか。
この一日を生きている奇跡に感謝しながら、
今日も素敵な夕暮れに出会えるように、
深まる秋の気配を忘れないようにしよう。