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フェスボルタ文藝部

入部届に、20歳に関する幾許かの考察を添えて(零-0)

2017.10.09 15:05

――僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。


あまりにも有名すぎるポール・ニザン『アデン・アラビア』の一節だ。夏に誕生日を迎えてひと月ほど経つが、確かに20歳というものはちっとも美しい日々などではなかった。どうせ文学に例えるなら、原田宗典の小説のような泥臭い日常だ。

だが人間はあまりにも早く忘れすぎる。だから美しいなんて嘯いてしまうのだろう。

苦しみを知らずに、生きれる世界などありはしないのに。


はい。入部届から少し経ちましたが、今更のように自己紹介です。

はじめまして。「零-0」と書いてれんれん、と読みます。

肩書はイラストレーター。最近はHMVの知り合いに頼まれてデザイナーの仕事もしました。

そして現在は大学生をしつつ、OTOTOYでインターンとして働いています。音楽ライターとして書いた記事は下記にリストアップしてあるのでご興味があればどうぞ。

フェスボルタには今年の8月に絵の展示・販売で出させて頂きました。10日前に出展決めて、どきどきしながらやり切りました。思えば9月にはなぜか池袋演劇祭の審査員に選ばれ、ひたすら観劇の毎日。普段は出版社でポップ作成に勤しんでます。なんせ肩書ばかり増えていくので、身内以外の方にさえ「零ちゃん、やりすぎじゃない?」と呆れられる始末。しかし私は思うのです、ひとつの肩書に縛られてこの年齢を消費することは至極もったいないと。


”絵描き”、なんておかしい。

”評論家”、さらに屈辱的だ。

なぜ狭いタイトルの中に自分を、他を、閉じこめてしまおうとするのであろう。

そのほうが、世渡りには好都合だ。世間が安心して許すから。

しかし、そんなのおもしろくない。

だれでもが思う存分、四方八方に生きたらいいんじゃないかと思う。

――岡本太郎『孤独がきみを強くする』


まあ太郎さんもこう言っていることですし、出来るうちは何でも挑戦していたいと思います。

幼少期から「20までに死ぬ」と公言していたにも拘らず、未だのうのうと生きているからには、死んだつもりで何でも為せると思うのですよ。伊藤計劃のSFしかり、お膳立てされた世界の中で自らと社会の無価値さを証明しようと必死な高校時代を送ってきましたが、殻の中で嘆いたところで変わらないですし。身の上話は長くなるのでまた次の機会にでも。

ここでは映画評やエッセイなどを掲載できたらいいなと思っています。

どうぞ宜しくお願いします!