蓮の露
https://kazsan.blog.ss-blog.jp/2017-07-24 【蓮の露あれこれ、の巻 [折々散歩]】より
蓮の葉に羽を休めるヤンマトンボ。ギンヤンマでしょうか?
来む世にも 逢うこともがも ギンヤンマ
「蓮の露」と書いて「はちすのつゆ」と読む作品があります。良寛和尚の晩年の弟子で、淡い恋愛関係にあったかとも言われる女性貞心尼(ていしんに)の自筆の歌集です。
良寛和尚については、こんな記事を書いたことがありました。
マクロスライド?なんのこと?---消えた傑作の巻?
「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(良寛)という境地が、私の目下の心境に近いのですが、時には「世の中にまじる」のも、「アリ」だと感じたひとときでした。
この歌は、ずっと昔、M師から教えられ心に残っている歌です。
良寛和尚、ほかにも、軽妙で、それでいてしみじみとした歌や句を、沢山残しておられます。この記事でも少し触れました。
散る桜残る桜も放哉忌(意味不明)
今朝の地元紙『山陽新聞』のコラム「滴一滴」は、〈散る桜残る桜も散る桜〉という句を引いて、「美しく輝く命にも、終わりは等しくやって来る。そんな思いを桜に託したのだろうか▼出撃した兵士たちがしきりに口にしたのが、この句だったという。」と紹介し、終戦四ヶ月前の1945年の今日、帰るあてのない「水上特攻」として、沖縄へ向かう途中の戦艦「大和」が、米軍の猛攻を受けて沈んだエピソードに触れています。
コラムは、犠牲者は大和の乗組員約3千人、護衛艦を含め約4千人に上る。大和は今も東シナ海の深さ350メートルの海底に眠っている▼先月は、フィリピンの海に沈んだ戦艦「武蔵」とみられる映像を無人潜水機が中継して話題になった。戦後70年。空襲、原爆、終戦…と節目の鎮魂が続く。悲劇を忘れてはならない。と、結んでいます。
この記事で、改めて意識したのですが、この〈散る桜残る桜も散る桜〉という句は、倉敷市玉島の円通寺ゆかりの禅僧・良寛の句だと言います。
円通寺には、これまでも幾度か訪れたことがあります。
正確には、円通寺に近い国民宿舎「良寛荘」を利用したことが、何度かあり、そのついでに、円通寺と、それを中心とする円通寺公園も、ぶらりと見学したことがあります。
そこには、いくつもの記念碑が建てられており、良寛の辞世の歌とされる「形見とて 何かのこさん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」や、いかにも良寛さんらしい「霞立つ 長き春日を 子供らと 手毬つきつゝ この日暮しつ」の歌碑もあります。
思い返せば、一昨年の4月に亡くなった畏友H氏の案内で、西行ゆかりの地を訪ねるツアーで訪れたのが、一番最近の訪問だったかも知れません。
その良寛和尚を敬愛していた貞心尼は、初めて歌を贈ります。(「蓮の露」)
師つねに、手まりを、もてあそび給ふ、と、ききて奉るとて、貞心尼
これぞこの、仏の道に、あそびつつ つくやつきせぬ、みのりなるらん
【解釈】良寬様は常に、仏の道を学ぶ手段として手鞠をついて遊んでおられますが、いくらついてもつき終わる ことがないのが、仏道の教えというものなのでしょうか。
これに良寬ははこう返します。
つきてみよ、一二三四五六七八 九十 (ひふみよいむなや、ここのとお)
十(とお)とおさめて、またはじまるを
【解釈】無心に手まりをついてごらんなさい。一二三四五六七八九十で、十までついたらまた一から始めます。仏道修行も同様で、これで終わりということはなく、得られたと思ったところから、またさらに始まるでしょう。
以後、良寬和尚が亡くなるまで、二人の間には、数々の歌のやりとりがありますが、蓮に関わる部分を少し引用します。
ある夏の頃まうでけるに何ちへか出で給ひけむ見えたまはず
ただ花瓶に蓮の挿したるがいと匂ひてありければ
来て見れば人こそ見えね庵守りて匂ふ蓮の花の尊さ
【解釈】ある夏の頃、良寬様をお訪ねしたところどこかへお出かけ中でしたろうか、姿がお見えになりませんでした・ただ、花瓶に蓮が咲いてあるのが大層美しうございましたので、こんな歌を残して帰りました。
来てみれば、お姿は見えませんが、庵を守って美しく咲きにおう蓮の花の尊いことです
御かへし
御饗(みあへ)するものこそなけれ小瓶なる蓮の花を見つつ偲ばせ
【解釈】
(良寬様からの)お返歌
貴方をもてなすご馳走もありませんが、小瓶にある蓮の花を見ては私をお偲びくださいな
御はらからなる由之翁のもとよりしとね奉るとて
極楽の蓮の花の花びらによそひて見ませ麻手小襖
【解釈】
ご兄弟の由之翁から、布団をくださるということで
極楽の蓮の花の花びらになぞらえてご覧くださいませ、この夜具を
御かへし
極楽の蓮の花の花びらをわれに供養す君が神通
いざさらば蓮の上にうち乗らむよしや蛙と人は見るとも
【解釈】(良寬様からの)お返歌
極楽の蓮の花の花びらを私に贈ってくれる貴方の神通力は、たいしたものだ
さあそれなら、仏の蓮の台(うてな)のような布団の上に乗りましょう。たとえ人々が蓮の葉に乗る蛙のようだと見るとしても
昔、妻が、こんな絵を描いたのを思い出しました。
蓮の葉の真ん中あたりに、アマガエルがちょこんと座っています。
今日は両親もジジババも出勤で、中2と小4の兄弟は留守番。小一生は学童保育へ、二歳児は保育園へ預かってもらいました。元気回復で、ほっとしました。
今日はこれにて。
Facebook清水 友邦さん投稿記事「良寛」
良寛和尚(1758-1831)といえばかくれんぼや手毬をついたりして子供達と遊びに興じる姿が人々の記憶に残っています。
良寛和尚は禅僧でしたが酒や煙草を好み、書と詩歌に没頭するかなり自由な生活を楽しんでいました。
生まれてこの方、立身出世に興味がなく (生涯懶立身)
天にまかせてあるがままに生きている (騰々任天真)
托鉢の袋に米が三升 (嚢中三升米)
炉辺には一束の薪 (炉辺一束薪)
迷いや悟りなどはどうでもよく (誰問迷悟跡)
名声や利益も塵のようなものだ (何知名利塵)
雨の降る夜の草庵で (夜雨草庵裡)
気ままに脚を伸ばしている (双脚等間伸)
欲がなければ一切が満ち足り (無欲一切足)
求めすぎれば万事がゆきづまる(有求万事窮)
菜っぱだけでも飢えはしのげるし、(淡菜可療飢)
衣一枚でも体は覆える (衲衣聊纏身)
一人鹿と遊び (独往伴鹿)
高らかに歌って子供たちと唱和する (高歌和村童)
岩清水で耳を浄めると(洗耳巌下水)
峰の上の松風がなんとも心地よい(可意嶺上松)
良寛和尚は老荘をよく読んでいたそうです。
きのう是としたことを(昨日之所是)
今日は非と思う(今日亦復非)
今日是とすることを(今日之所是)
きのうは非としたのかも知れない(安知非昨非)
こうして是非の判定に決めてはなく(是非無定端)
事の得失は予測できないものなのだ(得失難預期)
しかるに愚かな人は片方だけにこだわり(愚者膠其柱)
どこへ行ってもぎくしゃくしてばかり(何適不参差)
智のある者は根源を見て(有智達其源)
ゆったりと過ごす(従容消歳時)
だが智にも愚にも与しない人こそ(智愚両不取)
道(タオ)の人と呼ぶ(始称有道児)
荘子に胡蝶の夢がありますが良寛和尚はこの現実も夢だと言います。
夜見る夢はみな虚妄にして(夜夢都是妄)
何一つ値打ちはない(無一可持論)
しかしその夢を見ている時は(当其夢中時)
情景はありありと目に浮かぶ(宛兮在目前)
夢を今の現実にあてはめると(以夢推今日)
この現実もおなじようなものだ(今日亦復然)
禅僧の良寛和尚はよく瞑想をしていました。
静かな夜に草の庵で(静夜虚窓下)
衣にくるまって座禅を組む (打坐擁衲衣)
へそは鼻孔と向かい合い (臍与鼻孔対)
耳は肩に垂れる (耳当肩頭垂)
窓が明るくなって月が出た(窓白月初出)
雨が止んで滴が残った(雨歇滴猶滋)
今の心境は (可怜此時意)
ひっそりと ただ自ら知るのみ(寥々只自知)
自分のこころを見るように良寛和尚は提案しています。
虚妄と言えば一切は虚妄(道妄一切妄)
真実というならば一切は真実(道真一切真)
真実のほかに更に虚妄があるのではなく(真外更無妄)
虚妄のほかに更に真実があるのではない(妄外別無真)
しかるにどうして修行者たちは(如何修道子)
ひたすら真実ばかりを追求したがるのか(只管要覓真)
ひとつ試みに、求めようとするその心を観察してはどうか(試看覓底心)
その心は虚妄なのか、真実なのか(是妄将是真)
良寛和尚は晩年の二十数年間を五合庵(新潟県燕市国上寺)で暮らしていました。
当時の五合庵は村人が雨漏りの心配をするくらい古く、土と木と萱と藁の家で畳6帖くらいの土間にムシロ敷きの床だったと言われています。
良寛和尚は夜中に寒くて目が覚め、そのまま寝れずにおきていることもあったようです。
良寛和尚は山から里に降りて一軒ずつ托鉢で回って米や麦の喜捨で暮らしていました。
町での乞食を終えて(城中乞食罷)
てくてくと頭陀袋を下げて帰る(得得擁嚢帰)
帰り道は何処かは知らない(帰来知何処)
家は白雲のたなびくあたり(家在白雲陲)
時には村人につっけんどんに追い払われて何ももらえなかった事もあったようです。
晴れ渡った空に雁が鳴いて飛んでいく(青天寒雁鳴)
空になった山に木の葉が飛ぶ(空山木葉飛)
かすみ漂う日暮れの村の道(日暮烟村路)
托鉢の空の器を手にかかえて一人草庵に帰る(独掲空盂帰)
良寛和尚は自分のことをこんな詩にしてます。
おんぼろのうえにおんぼろ(襤褸又襤褸 )
おんぼろが私の生き方だ(襤褸是れ生涯)
食い物はやっと乞食でもらい(食は裁かに路辺に取り)
家は草が生え放題(家は実に蒿萊に委ぬ)
月を見ながら詩をうそぶき(月を看て終夜嘯き)
花に酔いしれて帰ろうとしない(花に迷うて言に帰らず)
修行の寺から一度出て以来(一たび保社を出でて自り)
こんな痴呆者になってしまった(錯って個の駑駘と為る)