昔のはとバスは醤油顔?
1960年代には高速道路が開通し、それまでは路線バスとあまり変わらなかった観光バスの差別化が図られるようになりました。路線バスと観光バスとでは使用環境が大きく異なり、観光バスのエンジンはより強力になり、ボディも展望をより良くするために窓は大型化されました。特に前面にいたっては上部に設けられていた社名表示窓(行先方向幕)や採光窓が廃止され、屋根まで伸びる大きなウィンドシールドが主流となりました。また、社名表示窓(行燈)がウィンドシールド下に移ると同時に、グリル風の装飾を採り入れたデザインが主流となりました。
しかし、あえてグリル風の装飾を採用しない事業者も散見されました。東京ではケイエム観光バスやイースタン観光などが該当しますが、実は前面に大きな「はとマーク」を掲げていたはとバスもそうでした。はとバスが1981年春に導入した日野といすゞのニューパノラマにはグリルが装着されていたので、スケルトンタイプからは全車グリルを装着するのかと思いきや、同年秋に初導入されたニューデッカーはグリルレスで登場、1984年導入車両までは基本的にグリルレスのシンプルな顔立ちでした。1984年からははとバスの車両もグリルを装備するようになりますが、前面の社名表示窓は一部の例外を除いて2006年導入のジェイ・バス製のバスまでは非装着でした。
尚、1990年代に入ると観光バスのニューモデルからはグリルがなくなり、よりスマートでお洒落なデザインへと変わっていきました。
ハイデッカーが主流になる前のスタンダードの観光バス。グリル非装着のはとバスと比較すると、大分印象が異なります。
写真① はとバスの呉羽ボディ車。
写真② 同じく呉羽ボディの日本観光(当時)。
写真③ はとバスの三菱ボディ車。
写真④ 三河観光自動車(当時)の三菱ボディ車。はとバスの側窓が斜めなのに対して、垂直です。
中型バスの例です。
写真⑤ はとバスの日野RL中型バス。
写真⑥ 東京近鉄観光バス(当時)の日野RL。
写真⑦ はとバスのスケルトンタイプの三菱MM中型バス。
写真⑧ 八重タクシーの三菱MM。
はとバス初のハイデッカーとして1977年から1981年にかけて導入された川重のハイデッカーII型。
写真⑨ 前面のオフセットされたマークが印象的なはとバスのハイデッカーII型。
写真⓾ グリルを装着した京都ヤサカ観光バス(当時)。
はとバスの川重ハイデッカーII改も1981年の初登場以来グリルレスのシンプルなマスクでの導入が続きましたが、1984年導入車は突然グリル付きとなり、イメージが一新されました。
写真⑪ グリルがないはとバス。側面に銀モールを採用した定期観光用に導入されたハイデッカーII改は比較的少数派でした。
写真⑫ グリルを装着した東京都営バス。