河原町とキリンビール
中世時代、因幡(鳥取東部)・伯耆(鳥取中・西部)地域を収めた豪族・山名(ヤマナ)氏とよばれる一族がいました。彼らは、巌城と呼ばれる標高58mの小高い山の上に田内城を作って城下町を作り、倉吉をおさめとったそうなのですが、一代限りですぐに打吹山への移城を行ったようです。古文書では城下町を『見日千軒』(みるかせんげ)と呼んでいるほどで、とても大きかったようなのですが、いまは小さな集落です。1544(室町時代/天文13)年の、天神川、小鴨川の氾濫時、大洪水が集落を直撃し、大変な被害を受けたのではと言われています。その災害を機に、今の成徳・明倫など打吹山山麓に集落が移ってきたと考えられているそうです。打吹山は標高204m。小さな山ですが、独立峰(いっこで独立した山)で、軍略も立てやすかったのかもしれません。
余談ですが、久保田さんから、前年の1543(天文12)年は種子島に鉄砲が伝来している年と教わりました。43年は、コペルニクスの地動説が発表されてもいるようです。
というわけで、昨日は、久保田さんと中村で、八幡神社を回って、小鴨川側のほとりをあるきました。
そこから『上(カミ)のおじぞうさま』を目印に河原町へ....。歴史的な建物もあり、とても風情のある町です。
『下(シモ)のおじぞうさま』の目の前にある苗屋さんの温室に、気になる張り紙が...。
キリンビールの社長になった河原町生まれの磯野長蔵という方のことが書かれています。
じっくり熟読していたら、店主の天野さんがお声がけしてくださって、カミ/シモのおじぞうさまのこと、にぎやかに行われてきた「地蔵祭」のことなど、いろいろなお話しをお教えくださいました。ありがとうございました!
今年は、磯野長蔵さん没後50年だそうです!
中村