2017 センター日本史難問集
2017年度は平均点が低かった。難問だった問題を取り上げて、生徒諸君に参考にしてもらいたい。
尊王思想が興隆に関して述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列しなさい。
Ⅰ 宝暦事件において、京都で公家に尊王論を説いた竹内式部が追放された
Ⅱ 藤田東湖・会沢安(正志斎)らが、尊王攘夷論を説いた。
Ⅲ 明和事件で、幕政を批判し尊王論を説いた山県大弐が死罪となった。
考え方
水戸藩の藤田東湖・会沢安の尊王攘夷が19世紀前半の幕末期と一番新しいのは分かる。さて宝暦と明和の順番がややこしい!
田沼時代の1758年京都で復古派の公家たちと竹内式部が、摂家によって処分された。
1767年江戸で幕政の腐敗を攻撃して尊王斥覇を説いた山県大弐が死刑に処せられた。
この問題は、内容を理解していないと混乱する問題と言えよう!
正解→Ⅰ-Ⅲ-Ⅱとなる。
第4問 問3
次の作品X・Yと、それに該当する作者名a〜dとの組み合わせとして正しいものを、下の①〜④のうちから一つ選べ
a.住吉如慶 b.菱川師宣
c.尾形光琳 e.野々村仁清
①X-a Y-c ②X-a Y-d
③X-b Y-c ④X-b Y-d
答えは下
③
第4問 問2
近世の上方
近世の上方について述べた文として正しいものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
①京都の豪商である末次平蔵は、富士川や賀茂川の整備を行った。
②元禄期には大坂堂島の十組問屋が、幕府に公認された。
③上方で生産された醤油が、幕末まで江戸の市場を独占した。
④蝦夷地や日本海側の産物が、北前船で上方へ運ばれた。
①河川舟運
17世紀初め、初期豪商である角倉了以が、賀茂川・富士川の整備と高瀬川等の開削を行った。馬借の仕事が奪われたのは言うまでもない。 末次平蔵ではない。
②17世紀末に大坂・江戸の問屋が仲間を結成して【二十四組問屋】(大坂)と【十組問屋】となり、海難事故の損害負担を協定した。十組は✖︎
③醤油は野田と銚子だから江戸の市場は独占できない。
④正文
正解→④
第3問 問3 年代整序問題
幕府は1333年に滅亡し、建武の新政が始まったに関連して述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて、古いものから年代順に並び替えよ。
Ⅰ 元に建長寺船が派遣された。
Ⅱ 雑訴決断所が設置された。
Ⅲ 北畠親房が『神皇正統記』を著した。
答えは下
↓
Ⅰ→建長寺船は1325年に派遣
Ⅱ→雑訴決断所は建武の新政期
Ⅲ→神皇正統記はⅠ339年
正解→Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ
第2問 問4
8〜9世紀の政治抗争
8〜9世紀の政治抗争に関して述べた次の文Ⅰ〜Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列しなさい。
Ⅰ 造都を主導していた藤原種継が暗殺され、早良親王が首謀者として処罰された。
Ⅱ 三筆の一人として知られる橘逸勢が、謀叛を企てたとして流罪になった。
Ⅲ 政権を批判して九州で反乱を起こした藤原広嗣が敗死した。
答えは下
↓
Ⅰ 藤原種継暗殺事件は785年
Ⅱ 橘逸勢は842年の承和の変で流罪
Ⅲ 藤原広嗣の乱は740年
正解→Ⅲ→Ⅰ→Ⅱ
第2問 問5
浄土信仰の興隆と背景
浄土信仰の興隆と背景について述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
①末法思想が広がるなか、11世紀なかばに平等院鳳凰堂が建てられた。
②空也は、京の市中で念仏を唱えて往生を説き、阿弥陀信仰を広めた。
③定朝は、一木造の技法を考案して、仏像の大量需要にこたえた。
④院政期には、豊後の富貴寺大堂など、阿弥陀堂が地方でも建てられた。
正解は下
↓
③定朝が考案したのは寄木造。
院政期の建築
ポイントは畿内以外の地方にあるということ。浄土教が聖や上人らによって地方へと広がり、地方の有力者によって営まれた。だから都道府県名とセットで建築物を記憶せよ。・三仏寺投入堂【鳥取県三朝町】・中尊寺金色堂【岩手県平泉町】
・富貴寺大堂【大分県豊後高田市】・白水阿弥陀堂【福島県いわき市】