第八回:万里谷円四郎
真理谷円四郎は知る人ぞ知る剣豪ですね。
江戸時代の兵法家です。
無住心剣術という剣術を使い(真理谷流ともいわれる)、なんと千回の立ち会いを行い一度も不覚をとらなかったと言われています。
門弟も大名から平侍まで一万人に及んだと記録されています(多分相当誇張されてますねww)
無住心剣術では"型"にとらわれる従来の剣術と異なり、決まった型はとらなかったようですね。
円四郎曰く
「生まれついたままの純粋な赤子の心でもって、種々の分別を離れ、外面に捉われることなく、ただ刀を引き上げて、自然と感ずるところへ刀を落とすだけである」
と語っています。
構えは正眼とも、上段ともいわれています。
なんでも、端から見ていると相当ゆっくり剣を振っているように見えるそうですね。
しかし、対峙した相手はみな口を揃えて、「いつ負けたか分からなかった」と話していたそうです。
無住心剣術は"禅"の要素も強く出ており、
理解できる弟子がいなかったためか、はたまた円四郎が天才過ぎたためか、数多く弟子がいながら円四郎は後継者を認めなかった為、無住心剣術は円四郎で途絶えたようですね。(最新の研究では一人だけいたなんて話もありますが、よく分かっていません)
無住心剣術の開祖も相当な剣の使い手で、名を針ヶ谷夕雲といいます。この方も生涯52度試合を行い一度も負けなかったとか。
無住心剣術からは様々な剣豪が生まれていったようですね。
ちなみに円四郎はそんな中でも腕前随一と相当な評価を受けております。
どれ程円四郎が飛び抜けていたかと言いますと、無住心剣術には"相抜け"という考えがあります。
これは、相打ちとは反対の思想で、
「優れた剣術家同士が向かい合った場合、互いに剣を交える前に相手の力量を感じ取り、戦わずして剣を納める」
というものです。
無住心剣術開祖の夕雲と、二代目の一雲は互いに"相抜け"になったそうです。
しかし、一雲と、三代目の円四郎は"相抜け"とならず、円四郎が勝ってしまったと言われています。(結局、一雲は円四郎に二度も負けたとか…)
円四郎は"相抜け"の思想を否定していたようで、
「強ければ勝つ、弱ければ負ける。ただそれだけ」
と考えていたそうですね。
ただそんな剣を使いながらも人間性にかなりの問題があったとかで、まあ、結構傲慢だったことや、「小手先の技に頼る小賢い戦い方は見苦しい」など他流を否定する言葉を平気で口にしていたとか…
無住心剣術が衰退したのはそんな彼の性格も要因の1つかもしれませんね。
今回は
ランクA
をつけます。
あくまでも伝説化された人物だと思うのですが、伝えられていることが本当であるなら歴史上最強クラスといって間違いないでしょう。