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南三陸 2015年9月

2015.09.27 14:00

9月25日~27日に、毎年恒例の東北ボランティアに参加してきました。場所は昨年と同じ、宮城県南三陸町。

私がボランティアに初めて行ったのは、震災から約2か月後の2011年5月。そこから、チャリティーコンサートの時期のたびに、その時の被災地の現在を感じるために、毎年参加しています。今年で5回目です。

今年はBrass for Japanに参加される皆さんにもお声がけをさせていただきまして、4人での参加となりました。コルネット木本さん(浜松市交響楽団)、矢田さん(AFB)、今回はボランティアのみの参加となったTuba倉岡さん、私の4人です。他にもぜひ参加したかったけど、お仕事やご家庭の都合でどうしてもできないというという方もいらっしゃいました。

品川駅による11時に集合し、そこからマイクロバスで約8時間、一路南三陸町に向かいます。今回の参加者は20名ほど。下は都立高校の高校生から、上はがんで余命2年の宣告を受けているという方まで、メンバーは様々です。友達同士や親子での参加、もちろん一人での参加もたくさんいます。

土曜日朝7時過ぎごろに南三陸町に入り、周辺にある震災遺構をいくつか見て回ります。大川小学校、南三陸町防災対策庁舎。私自身も昨年見ていますし、皆さんも見聞きすることも多いところでしょう。特に南三陸町防災対策庁舎は、今年のBrassfor Japanのチラシに写真を使わせていただきました。

震災遺構については、被災地内外で議論になっているところです。つらい記憶がよみがえるからなくしてほしい、震災の記憶を後世に伝えるために残してほしい、いやもっと現実的に、保存のための費用や手間がかかることや、単純に整地の障害になるという話もあるでしょう。すべてを残すということは難しい。ということは、今ある景色も近い将来なくなってしまうかもしれません。それでなくとも、南三陸の景色はこの1年で大きく変化しています。

今の景色がこの姿であることを、少なくとも私の記憶の中にはとどめておかなければ。そう思いました。

それをとても強く感じたのが、南三陸町防災対策庁舎の周辺の光景です。


昨年の写真と見比べてみましょう。上は昨年、下は今年の写真です。

今年になると、背後に大きな山が出現しているのがお分かりになりますでしょうか。

このあたり周辺は、全体を約10mかさ上げするための盛り土の作業が進められています。つまり土地そのものを、ビルの3~4階ぶん高くしているということです。近くに行くとわかりますが、これは想像を絶する作業。

しかし、まだまだこの作業が完了するまでにはとても時間がかかることもよくわかります。さらにこの盛り土作業は、作業完了後3年間放置して地盤の安定をはかり、検査のうえ問題なければやっとそこに建物を建てることができるとのこと。それが終わらなければ、この土地に震災前のような街が戻ることはないということです。一瞬で消えてしまった街が元に戻るために必要な、気が遠くなるほどの時間。

人が戻る以前の、街が戻る以前の、土地そのものの復興ですら、まだまだ先が見えない。これが、震災から4年半が経過した、いまの被災地の現状です。ここに街ができ、震災の前のように人々の生活が息づき、にぎわいが戻ってくるのは、いったいいつになるのだろう。果たしてそんなときが来るのだろうか。そんな気分にもなってしまいます。

ボランティアの作業は、農業や漁業のお手伝いです。数人ごとのチームに分かれて行います。私の入ったチームの作業は、ネギ畑の雑草取りと収穫でした。

この畑の所有者は、地元の農業生産法人です。一緒に作業いただいた方は、震災前には内地で印刷会社に勤めていたそうですが、震災によって被害を受けた地元の農業の復興のために職を変えたのだそうです。耕作放棄地となっていた畑を借り入れ、仮設住宅で時間を持て余している住民の方々の力も借りて、ネギ畑を運営していらっしゃいます。もともとこの地では、ネギの生産が盛んというわけではありませんでした。しかし数年間にわたる試行錯誤の末(その過程には、カモシカにナスを全部食べられてしまったという苦い経験も)、ネギが一番適していると判断して、この地に新しい名産品を作ろうと努力されているのです。

また、一緒に働いている方も、もともとは東京で魚屋さんをやっていた方だったのですが、ボランティアで南三陸に来ているうちに、とうとう移住してしまったという剛の方。南三陸という土地と人の魅力なのかもしれません。それでも、ここで暮らすというのは楽なことではありません。「街の将来がもうちょっと見えないとなあ」と、その方はおっしゃいます。現に、家も自由に建てられない、店も満足に揃ってない、日常の買い物には車で40分ほどかけて隣町のスーパーまで行かないといけない。住んでいる方にとっても、復興の手ごたえはまだまだつかめていないのでしょう。

ネギ畑チーム以外にも、南三陸名産のホヤ貝の袋詰め作業や、ワカメ養殖の準備のお手伝い、住民の憩いの場として新たに作っている集会場整備のお手伝いなど、技術はなくても単純に人の手で解決できる作業を中心に、それぞれでお手伝いをしてきたようです。地元の方とふれあい、お話をし、地元の方に喜んでもらいながら、私たちも貴重な体験をさせていただく。ボランティアというと、奉仕の精神みたいな高尚なものを想像してしまうのですが、実際には観光旅行のついでにお手伝いさせていただく(さらにはおいしいものも頂く)、くらいの感覚です。


というわけで、最後は今回いただいた、おいしいもの特集と参りましょう。

「何しに行ってきたんだ?!」とも言われてしまいそうですが、ほんと、こんな感じです。

昨年も書きましたが、南三陸町は、ただ単純にとってもいいところです。景色もきれいだし、人もあたたかいし、食べ物もおいしいし。だから、なんの高尚な精神などなくとも、ただ行くだけでほんとに楽しめると思います。

そして、それこそが本当に被災地の方々に喜んでいただけることなんだろうと思います。

忘れないこと。足を運ぶこと。喜んでくれること。誰かに伝えること。

それが、地元の方々の願い。

私がボランティアに毎年言っているというのはあくまで個人的な志向の話で、人に薦めていくもんじゃない、正直そう思っていました。

けれど、決めました。来年も、皆さんをお誘いしようと思います。

深く考えずに、ただ足を運ぶ。それでいいんです。もしご興味ある方がいらしたら、ぜひ来年、いっしょに行きませんか?