ドヤリングからみる拡散と、人に与える印象とは!?
キャリアの進化、SNSの台頭により、個が様々な情報を発信し、購買や集客などに大きく寄与する中で、現在の個人の発信で主軸になりつつあるドヤリング。
ドヤリングとは
ドヤリングとはエクストリームスポーツであり、ライフスタイルであり、人間の生き方そのものです。
スターバックスでMacを広げてキーボードを打っていると、とても満たされた気持ちになります。同時に、同じ店内にいる別のMacドヤラーとの間に静かな緊張感が生まれ、だれがよりクールに・自然に・
スタイリッシュにドヤっているかを無言のうちに競っている。そういうピリッとした他人との関係性に。心躍るとともに退屈な日常に程よい刺激と緊張をもたらしくれます。
ドヤリング。それはそう。生き方そのものなのです。
私的に見るとこのドヤリングは、自己主張とも考えれます。確かに僕も意図的SNSを使ってドヤってます(笑)
ドヤリングは時に相手に与える印象ではポシディブな印象であったり、できる人またはゆとりのある人に見えます。
がしかし、一歩間違えるとただの自慢または自己主張となり得ます。
最近個人的にドヤることに少し反省と、発信したいドヤ加減のバランスを考えております。
伝えたいため、アピールしたいためのドヤリングが変えってネガティヴになる事。
それは、実生活とのバランスですね。
活動的な行動をドヤリングすると、あの人は忙しい人だ。 手広いくやっている。と与える印象があります。 確かにいい事もありますが、実生活でこなすべきことや、忙しさのあまり期待、責任に対してレスポンスよく動けてない場合、ドヤリングは、関わる方々に不満、不憫な気持ちや影響を与えます。
この点を抑えて行かないと大切な信用を自分の発信により低下させてしまいます。
このポイントは、最近私自身の反省点とは課題点として捉えております。
では、バランスの良いドヤリングとは??
自身の強みを活かしながら、更に実生活でそつないスピードと対応。そしてドヤリングを個人主観、主張の発信から、複数形の発信へ転換。
ネットの拡散のポイントとして、1に共感、2に楽しさ、3に驚きと考えます。
特にFacebookなど個人が特定できるものは、一人称ではなく、二人称以上の言葉に変えてゆく。
逆にインスタなどフォトジェニックな投稿は、センス良い写真を使いドヤリングを尖らせた方がいいのかと思います。
Facebookでは言葉という表現で発信していますが、相手に様々な印象を与えます。時に誤解まで生まれるくらいです。
これは本当に怖いですね!
昔はそんなの関係ないとも思いましたが、客観的見て相手どうゆう風に捉われるかも気にしないといけないと思う今日この頃です。。。
インスタなどフォトジェニックなものは、視覚的要素で共感と興味を示します。
分かりやすい共感は生みやすいです。
綺麗、カッコイイ、オシャレ、美味しいそう、楽しそう、形容詞に関わるものが最適です。
もちろん写真がオシャレじゃなきゃ印象に残りませんからね。
この点を抑えながら、何故ドヤるのか?またドヤっる事で何を伝えたいかを考えるのも大切なパーソナルブラディングの一つと、つくづく感じる今日この頃です。
まとめ
ドヤリングにはバランスが必要
そのバランスは実生活と直結すし、相互的な印象を与える(プラスにもマイナスにも)
ドヤリングは一人称から複数形へ
そして、意図的にこう感じて欲しいという発信が、拡散を起す健全なドヤリングだと思います。