第十回:伊東一刀斎
伊東一刀斎は戦国時代から江戸時代の初期の剣術家です。
伊豆の国伊東の出身で、伊東を名乗っていたと言われている。
逸話によれば14歳のころ、伊豆大島から三島まで泳いでいき、三島神社で富田一放なるものと決闘し勝ったそうです。
この際、戦いを見ていた神主が感銘を受け、一刀斎へ宝刀を与えたそうです。
一刀斎はこの刀で盗賊7人を斬り殺し、最後の1人が大瓶に隠れたところを瓶ごと真っ二つに斬った"瓶割刀"の伝説が今も伝わっています。
他にも越前敦賀生まれや、加賀金沢生まれなど諸説あります。
一刀斎は江戸にて鐘捲流剣術の開祖の鐘捲自斎の弟子となります。(ちなみに彼は佐々木小次郎の師匠とも言われております)
自斎は一刀斎のことを随分可愛がったそうで、様々な秘剣を伝授したそうですね。
一刀斎の才能も相当なもので、日中夜とわず木刀を振って稽古していたそうです。
その結果、数年で彼に敵うものは道場にはいなくなったそうですね。
その後、一刀斎は全国へ武者修行の旅へ出掛けます。
この時、止めようとした師の自斎と立ち合っていますが、自斎は一刀斎へ一度も打ち込むことができなかったそうです。
旅に出た際、彼は家を持たず
"天下一 剣術の名人伊藤一刀斎"
という札を掲げ、様々な挑戦者と立ち合ったとか。
結局、その旅の中で真剣で33回勝負して一度も負けなかったと記録されています。
この頃になるとかなり名は知られ、三浦三崎に立ち寄った際には、入門志望者が押し寄せたとか。
この三浦三崎に唐人(中国人)が来航した際、中国刀術の名人と一刀斎は立ち合ったと言われています。一刀斎は扇一本で木刀を持ったその名人に勝ったそうですね。
この方は剣に関しては鬼のような人だったそうで、
一刀流秘伝の継承を賭けて弟子二人(小野忠明と小野善鬼)を戦わせたと言われています。
結局、破れた善鬼は命を落とします。
また、多くの剣豪が出世のために剣を鍛えるのとは別に、一刀斎はただ純粋に剣の強さのみを追及して人生を歩んで言ったようです。
徳川家康から一刀斎へ剣術指南役を頼まれた際、弟子の小野忠明を推薦し自身は辞退しています。
一刀斎は"一刀流"を称したことはないのですが、その後、一刀流は江戸時代において隆盛を極めていきます。
江戸時代何百と剣術が生れた中、そのほとんどが、一刀流か新陰流の流れをくむと言われています。
今回は
ランクB
です。
いかがでしょうか。