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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ヴァイキング7-ロベール家戴冠とノルマン公

2017.10.13 04:39

ノルマンのパリ包囲で金銭解決しかできなかったカール肥満帝は貴族から見放されてしまう。代わりに人気が出たのはパリを守って奮戦したロベール家だった。ロベール豪胆公は、866年に戦死、その息子ウードは、882年にパリ伯となり、ノルマンの侵攻に守備隊長として奮戦し、パリを守りきった。

887年カール肥満帝は退位させられ、その2ヶ月後に逝去。そして諸侯と司教らに推薦されて、ウードが西フランク王を戴冠することとなった。王となったウードはついにノルマンを破るが、肥満帝の息子のシャルルも893年にランスで聖別され、彼を押す諸侯と対立をくりかえした。

894年、両者の妥協が成立し、ウードが子なくして死んだ場合はシャルルが王となると決められた。これが決まったからではないだろうが、897年ほんとにウードは子ができずに亡くなり、898年シャルル3世単純王が即位。ロベール家はウードの弟ロベールが継ぎ、広大な領地をもつ侯爵となり、やがてカペー家へとつながる。

911年、ヴァイキングのロロがフランス侵入。このロロは、故郷を追放された暴れ者だったらしい。911年シャルトルの戦いでロロが敗れ、シャルル3世の取引に乗ることにした。ロロはキリスト教に改宗し、襲撃を止めるかわりに領地を与えられ、ノルマンディー公爵となった。ここでキリスト教に改宗し、陸戦を学んだロロは勢力を伸ばし野心を拡大する。

下はノルマンに奮戦するウード。