七ヶ浜 2013年9月
(2013年9月に宮城県七ヶ浜町に訪れた後、10月ごろにmxiに投稿した日記です)
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やはり、記録しておいた方が良いと思ったのだ。
9月13日。金曜日。
この頃も、そんなに暇ではなかった。
しかし、何とかやりくりして時間を確保。
この日は荷物を積んで朝から車で出社、
会社近くのパーキングに停めてある。
夜9時ごろに会社を出て、車の中で着替える。
集合は、東京駅に深夜1時。まだ時間はある。
日比谷公園では、オクトーバーフェストが開催されていた。
少しぶらつきながら、ウィンナーなんぞを頬張る。
深夜1時。リムジンバスの中には、40人ほどが乗り込んでいた。
老若男女、いややはり若い人が多いか。
ボランティアバス。今回それに参加することにしたのだ。
二年前には一人で車で福島まで行き、朝からボランティアセンターに並んだものだが、
今はもう個人のボランティアを受け付けているところはほとんどない。
どうしようかいろいろ調べているうちに、
観光バスが運営するボランティアバスのことを知る。
深夜1時に東京駅を出発、目的地である宮城県七ケ浜町には朝8時着。
たまたま自分の隣に座るはずだった人がキャンセルになったらしく、
席を広々使えたせいもあってか、意外と快適に眠ることができた。
朝8時過ぎに七ケ浜町のボランティアセンターに到着。
我々だけではなく、次々とバスが到着しては、人が集まってくる。
その数、およそ100人ほど。そのほとんどが、企業での活動のようだった。
あれから二年が経った今でも、企業が、個人がこうして集まってくる。
思えば、心強いものだ。
宮城弁のラジオ体操で心も体もほぐれた後、本日の作業場所へ。
二年前の光景は、今でも頭から離れない。
泥だし作業をした、あの漁師さんの家。
それは、津波によって破壊された箇所を、いったんゼロに戻す作業。
今日の仕事は、畑の瓦礫取り。
耕運機が入れるように、土の中に埋まった瓦礫を取り除く作業だ。
「畑が綺麗になったら、マンゴーを植えようと思ってんだよ」 農家の方は、明るく話してくれた。
それは、確かに前に、未来に進むための作業だ。
この二年間の復興の進みが、確かに感じられた。
思えばあの時、車が、船が、いたるところに転がっていた。
今でも残された車はあるが、街はずっと綺麗。
当たり前のことだが、当たり前の姿に戻りつつある。
作業をしながらまわりを見渡すと、畑には野菜がなっている。
けれど、田んぼには秋の実りがない。
「一度海水かぶっちゃったらね、田んぼはなかなか戻んないんだよ」
やはりこの辺りの田畑が、以前の姿に戻るには、
まだまだ時間と、膨大な人の手が必要なのだ。
作業は決してきついものではなく、時間はあっという間に過ぎて行く。
正直、ものたりなさを感じたのも事実だ。
けど、リーダーの方はこう話す。
「物足りないと思うかもしれないけど、あなたたちの思いは
次に来た人がしっかり受け継いでくれます」
そう。そうやって、津波に飲まれた街は、
少しずつ少しずつ、着実に蘇ってきたのだ。
そしてこれからも、きっと。
ボランティアセンターに戻ると、たこ焼きの移動販売車が
美味しそうな匂いを漂わせている。
築地銀だこさんの出張だ。
こうして被災地のボランティアセンターに出向いては、
無料でたこ焼きを振舞っているのだそうだ。
これもまた、心意気。
実はおいらは、前々日に銀だこでたこ焼きを食べていたのだけれど。
作業を終えると、今日の宿のある福島県相馬市へ。
津波で甚大な被害を負うも、改装して再開した宿屋へ。
美味しい食事と、宴会。
こうして旅気分を味わうことも、復興への手助けだ。
部屋は六人ほどの相部屋。
隣では飲み足らない若い連中がどんちゃん騒ぎをしているが、
この部屋にはなぜか、おっさん三人と大学生の男の子三人の、
いたって真面目な人生相談会になっていた。
なぜそんな流れになったのか、もはやよくわからない。
けど、就活を控えた大学生の社会に対する漠然とした不安は、身に覚えがある。
どんな仕事をしてるのか?
なぜその仕事を選んだのか?
仕事をやっててよかったと思うことは?
大学生の頃は、何を考えて、何をしてたか?
「若い頃に、これをやっとけばよかった」と思うことは?
時間は深夜三時過ぎまで。
素朴な、けど真摯なその疑問に、
これまでの人生を振り返りながら、少しずつ答えていく。
答えるおっさん三人も、なかなかバラエティに富んだ人生を送っており、
我ながら若者たちにはいい体験談になっただろうと自負する。
そして、答えるおっさん側にしても、有意義な時間だった。
思えば自分が大学生の時、親戚でも、先輩でもない社会人から
こんな話を聞く機会なんてなかったなあ。
そういう意味で、こんな一期一会の出会いというのは、そうそうない。
ボランティアに来る理由はそれぞれで、
ボランティアの参加回数も人それぞれ。
ボランティアのベテランみたいな人もいるし、
そういった人たちの話はとても興味深い。
なかなか気持ちのいい人たちの集まりだ。
深夜に少し部屋を抜け出し、相馬の街を歩く。
新しい家がたくさん建っており、新たな生活が根付き始めている。
一方で、あの時のままの姿を晒している公民館。
その壮絶な光景に、また言葉を失う。
時が止まった場所と、時が進んでいる場所。
それが隣り合わせで混在しているのが、今の被災地の姿。
明けた日曜日に、それをさらに実感することになる。
台風が近づいていた。
この日はバスで被災地の姿を巡る。
福岡県南相馬市、そして、浪江町。
そう。あの原発の隣町だ。
封鎖解除から、まだあまり日が経っていない。
だからそこは、まさに時が止まった場所。
だけどこうして人が入れるようになったのならば、
また時はゆっくりゆっくり動いていくだろう。
時を止めたのは人間の業だが、
時を動かすのもまた人間の力。
そう信じずにはいられない。
旅の最後の予定は、福島での果物狩り。
天候の関係でお店の前で振舞われた梨と桃の食べ放題。
地元の人は、ボランティアの人たちにほんとに感謝してくれて、
ほんとにあたたかく迎えてくれる。
帰りの5時間のバスの行程は、もうみんなぐっすり。
午後8時ごろ、東京駅に到着。
忘れられない東北の旅は、これにて終了。
人の繋がりは、被災地を着実に蘇らせている。
でも、まだまだこれからも、人の力が必要だ。
決して大きな力ではないものの、
ぼくらのBrass for Japanの活動も、
いつかどこかで
誰かの笑顔を蘇らせる力になると信じて。
10月19日。
天気さえよければ、本番は来週。
そんな思いを、少しでも思い出しながら。