井伏鱒二 著『厄除け詩集』
おじいさんはそのとき
詩を書いていたのか
355時限目◎本
堀間ロクなな
昨年の暮れ、夕方に愛犬のチワワたち(ロク、なな)を連れて、近くの緑地を散歩していたときのことだ。前方からやってきたおじいさんがすれ違いざま、いきなり前のめりに倒れ込み、地面に額を押しつけたまま身動きできないようなので、わたしが背後から腕をまわして抱き上げ傍らのベンチに座らせた。問いかけると、名前と88歳の年齢は答えるものの、自宅の住所も電話番号もわからず、それらを示す何物も持ち合わせていないとのことだった。いわゆる徘徊老人らしい。
たまたま通りかかった買い物帰りの主婦も協力を申し出て、ふたりがかりで対処してみるが、ご本人は「道がこうなって、こうなって、こうなっているところに家がある」と人差し指を振りまわすだけで、いっこうに要領を得ない。家族については「娘がひとりいるけれど、オレのことを心配するはずがない、いなくなってせいせいするさ」と悪態をつき、警察に連絡すると伝えると「それだけはやめてくれ」と悲鳴を挙げる。過去によほど不愉快な出来事があったのだろう。
そんなやりとりをしている間にも師走の日は傾き、大して厚着をしていないおじいさんは寒そうに肩をすぼめながら、「ワンちゃんを貸してくれないか」とのたまう。さほど人見知りしないメス(なな)のほうを渡すと、もの慣れた手つきで胸元に抱え込んで撫でたりするうち、たちまち顔つきからこわばりが消えていく。その穏やかな双眸がのんびりと夕焼けの空に向けられているのを眺めて、わたしはふと、おじいさんはこの現実をどうやら楽しんでいるらしいことに気づいた。
井伏鱒二の『厄除け詩集』(定本1990年)は、明治から平成に至る長寿の折々に書き留められた詩篇を収めている。その最後の作は79歳の年の「冬」だ。
冬
三日不言詩口含荊棘
昔の人が云ふことに
詩を書けば風邪を引かぬ
南無帰命頂礼
詩を書けば風邪を引かぬ
僕はそれを妄信したい
洒落た詩でなくても結構だらう
書いては消し書いては消し
消したきりでもいいだらう
屑籠に棄ててもいいだらう
どうせ棄てるもおまじなひだ
僕は老来いくつ詩を書いたことか
風邪で寝た数の方が多い筈だ
今年の寒さは格別だ
寒さが実力を持つてゐる
僕は風邪を引きたくない
おまじなひには詩を書くことだ
まったく、なんという境地だろう。心身のどこにも無理な力の入ることなく、ありのままの現実をありのままに受け止めて、おのずから一篇の詩となっている。人生の長い階段をひとつひとつ昇ってきて、ようやく終点に近づいたからこそ味わえる融通無碍の境地なのだろうか。そして、わたしは思う。このおじいさんも傍目にはわびしい徘徊老人と映ったとしても、当の本人は足の向くまま、気の向くままに大気を呼吸しながら、「おまじなひ」の詩を書いていたのかもしれない。それはやがて、われわれ自身にも訪れる道のりではないのか、と――。
話のオチをつけておこう。すっかり表情の和らいだおじいさんは警察への通知に頷いてくれて、主婦がスマホで連絡したら、ちょうど留守宅からも捜索依頼の電話があったところだという。やっぱり娘さんも心配していたじゃないですか! そう告げると、おじいさんは静かに笑みを浮かべたのだった。