只見町「田子倉駅」跡 2017年 秋
10月も中旬となり沿線が色づき始めていると聞き、JR只見線の列車に乗り、同線の福島県“最深部”になる只見町の「田子倉駅」跡に向かった。
*参考:
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の秋ー
早朝、磐越西線の始発列車に乗るために郡山駅に向かう。駅前のビッグアイの最頂部にはガスが掛かっていた。
自転車を折り畳み、輪行バッグに入れ、構内に入り切符を購入。自動改札を通り1番線に移動し、列車に乗り込んだ。
5:55、会津若松行きの列車は定刻に出発。
切符は、土曜日という事で「小さな旅ホリデー・パス」を利用。只見駅まで往復で利用でき、2,620円という破格の料金。
郡山~只見の通常の往復運賃は6,040円だから半額以下となり、エリア内途中下車が可能ということもあり、土日休日の只見線の旅を満喫できる切符だ。
磐梯熱海手前の空は厚い雲に覆われていたが、うっすらと青空も見えた。天気予報では会津地方だけ太陽が顔を出すということだった。
沼上トンネルを抜け会津地方に入っても、空模様は変わらず。猪苗代を過ぎて見た「磐梯山」の頂上は僅かに雲が掛かっていた。
7:09、列車は定刻に会津若松に到着。上空は筋状の厚い雲に覆われ、所々に青空がのぞいていた。今日は鉄道の日という事で、駅前ではイベントの準備が行われていた。
再び改札にを通り、只見線のホームに向かう。連絡橋から右奥の磐梯山を見ると、くっきりと稜線が見えた。
4番線に折り返しの列車が入って来る頃にはホームが人で溢れた。
奥会津五町村活性化協議会が企画した「只見線乗車体験」のツアー客だった。今回は『ガイドと歩く久保田三十三観音とのんびり柳津温泉』と称して、会津柳津駅で下車して柳津町内の二箇所を観光バスで巡るという。車内は終始賑やかだった。
7:37、列車は定刻に会津若松を出発。
七日町、西若松を過ぎ、大川(阿賀川)を渡る。
会津本郷、会津高田、根岸、新鶴、若宮と列車は会津盆地の田園の中を駆け抜ける。沿線の田はほとんど稲刈りが終わっていた。ここ一週間ほど雨が降ったが、品質や収量に問題はなかったか心配になった。
列車は会津坂下を出発し、ディーゼルエンジンを蒸し七折峠に向かった。
塔寺、会津坂本を過ぎ、会津柳津でツアー客を降ろす。それでも車内には“意外なほど”の乗客を残していた。嬉しくなった。
郷戸手前、 新田踏切付近の“My ビューポイント”を車窓から眺めた。
滝谷を過ぎ、しばらく走ると建設会社の敷地に県森林組合連合会が運営する「会津共販三島市場」が見え、多くの木材が並べられていた。
会津桧原を出発した後は“橋梁区間”となる。桧の原トンネルを抜け林の中を進むと視界が開け、「第一只見川橋梁」を渡る。只見川を取り囲む木々はわずかに色づき始めた程度だった。この先「第八橋梁」までも同じような色づき具合で、あと2週間、今月末あたりから見ごろとなるようだ。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館「歴史的鋼橋集覧」
列車の窓がうっすらと汚れていて、ガラス越しの車窓風景は冴えなかったが、晴れて外光が強まれば気にならないだろうと思った。
会津西方を過ぎ、直後に「第二只見川橋梁」を渡る。「第一橋梁」と「第二橋梁」から見られる“水鏡”は、東北電力㈱柳津発電所の貯水池である柳津ダムが創り出している。
会津宮下手前で“アーチ3橋(兄)弟”の長男・大谷川橋梁を渡りながら、眼下に“次男”宮下橋を眺めた。
会津宮下を出発すると、まもなく水路式の東北電力㈱宮下発電所と宮下ダム湖を右手に見ながら進む。
しばし只見川(宮下ダム湖)と別れるが、まもなく「第三橋只見川橋梁」で只見川を渡河する。
滝原トンネルを抜け、“早戸俯瞰”の撮影ポイントを過ぎ、早戸トンネルを出ると早戸に到着。家族連れと思われる一行がホームに降りた。「早戸温泉つるの湯」に行くのだろうか、ここで5人を超える乗客が一度に降りる光景は私にとっては珍しく、嬉しい気持ちになった。
早戸を出発してまもなく、窓を開け振り向いて只見川の様子を撮った。この眺めは只見川(宮下ダム湖)が蛇行しているため、奥行きを感じた。
金山町に入り、国道252号線沿いの崖沿いに架かる、八連コンクリート“めがね橋”上を走る。
高倉、下大牧の集落脇を過ぎると大倉沢を渡り不動沢トンネルを通過。窓を素早く引き上げ、後方を向きカメラを構え、トンネル上の社を見上げた。
列車は会津水沼を過ぎ「第四只見川橋梁」を渡った。下路式ワーレントラス橋のため鋼材が視界を邪魔する。
会津中川を出て、大志集落の脇を通り過ぎると、列車は前方に上井草橋を見ながら大きく右にカーブする。
そして、ゆっくりと終点の会津川口に入ってゆく。東北電力㈱上田発電所の貯水池である上田ダムが創る今朝の水鏡は、素晴らしく美しかった。曇り空でも、自然美を際立たせてくれていた。
9:39、会津川口に列車が到着。ホームから降り、構内踏切を渡り駅舎に向かう途中に見慣れぬ看板を目にした。『“危険”ですので鉄道用地内に入らないでください』と列車などを撮るために踏み込んでしまう方々が多く、その対策のだろうが、せっかくの景観を損ねていて残念に思った。
駅舎に入り、売店で昼食用のおにぎりを手に入れ、「かぼまる」にあいさつ。今日はハロウィンの衣装を身に纏い、今年はカボチャの置物まであった。
待合室でしばらく只見行きの代行バスを待つ。「平成23年7月新潟福島豪雨」で運休される前は、只見に行くには15時27分まで約5時間50分も待たなければならなかった。代行バスが運行され増発された事で只見までのアクセスが改善されたのだが、3~4年後の復旧時には、私の乗ってきた列車が、会津川口行きから只見行きに変更することは集客には必須だと私は思っている。会津若松7時37分発の列車が只見行きになる事と願う。
10:25、只見行きの代行バスが定刻に出発。乗客は私一人。バスは、国道252号線を南西に向かって進んだ。
坂を下り、本名地区が前方に見え、右手に一部橋桁が流出した「第五只見川橋梁」が現れた。
“本名駅”を過ぎ、ダム式の東北電力㈱本名発電所と本名ダムの天端(本名橋)上からは、完全に流出した「第六只見川橋梁」が左手に見えた。
バスは、湯倉、“会津越川駅”、“会津横田駅”で停発車を繰り返してゆく。只見川を渡る二本木橋では、上流側に「第七只見川橋梁」の橋脚がわずかに見えた。
“会津大塩駅”から“会津塩沢駅”を経て、只見川に架かる寄岩橋から「蒲生岳」を背景に“不渡河橋”である「第八只見川橋梁」を眺めた。紅葉の最盛期には圧巻の光景を見せるこの場所は、“乗って・見て・撮って”三方良しのポイントだ。この場所の只見川の水鏡は電源開発㈱滝発電所の滝ダムによって創られている。
ワーレントラス橋の向かいに、建設中の泊地のコンクリート構造物が見えたが、最近できた施設のようで。景観を損ねている気がした。
11:15、代行バスは“会津蒲生駅”を経て只見に到着。私は駅舎に入り、ホーム出入口から「要害山」を眺めた。紅葉は色付き始めだった。
駅舎入口のベンチでしばらく休んだ後、目的地である「田子倉駅跡」に向かう事にした。
輪行バッグから自転車を取り出し、組み立てた。
12:10、只見駅前を出発。「田子倉駅跡」を列車が通過する14時15分には、余裕で間に合うと思った。
駅周辺の田は色づき、稲刈りが行われていた。
国道252号線に入り、緩やかな坂を自転車で進むこと約10分で只見ダムに到着。堤高30mと低いが、只見川にあるダムで唯一のロックフィルは美しい。
洪水吐であるローラーゲートの脇には電源開発㈱只見発電所があり、世界最大の発電容量を持つバルブ水車が稼働しているという。
只見ダム湖を眺めた。
ダム湖を通して、奥に田子倉ダムを見る事ができる珍しい光景が広がっていた。
ダムのそばには、食堂や土産物の売店をもった只見町歳時記会館と、電源開発㈱只見展示館がある。
只見ダムを後にし、平坦な国道を進むと山肌の上部に色づいた一本が目についた。
この木だけが、紅葉の最盛期を迎えていた。
さらに進むと、橋の工事現場に到着。「平成23年7月新潟福島豪雨」で1径間が落下した万代橋の復旧工事だった。橋上の道路は町道だが、橋は電源開発㈱の所有。工事の発注者は電源開発㈱田子倉発電所となっていた。
少し国道を進むと、電源開発㈱田子倉発電所の敷地にのびる道に接続するが、ここからは立ち入り禁止となっている。
私は国道を右に大きく曲がり、登坂を開始。大型バスの相互通過が可能な道であるため、傾斜はきつくなく、私の小径自転車でも乗ったまま上ることができた。
途中、法面の改良工事が行われ、信号機による交互通行になっていた。
先に進むと、田子倉ダムの堤体が見えてきた。
国道の傾斜が緩やかになり、田子倉第1トンネルの手前で振り返り、上ってきたつづら折りの国道と、山間に開けた只見ダム湖を見下ろした。
万代橋の工事現場の状況も俯瞰できた。
只見駅を出発して約40分で、田子倉ダムの堤頂に到着。
堤高145mの重力式コンクリートダム。偉容に見惚れた。
天端を歩き、ダム湖の様子を眺めた。総貯水量は4億9千400万㎥と国内三位。湖底には約50戸、290人が暮らしていた田子倉集落が眠っている。
下流側に目を向け、只見町の中心部を見下ろした。
右奥に見える尖った山は、只見線の「第八只見川橋梁」沿いにある“会津のマッターホルン”こと「蒲生岳」。
天端の脇には、駐車場と連絡橋でつながる田子倉レイクビューがあり、食堂と売店が併設されている。
田子倉ダムに5分ほど滞在し、国道に戻り先を進んだ。ここから田子倉駅跡までは約4.km。トンネル4基、ロックシェッド2基、スノーシェッド12基を潜り抜けてゆく。
田子倉第2トンネルを抜け、右にカーブすると前方に若宮八幡神社がある。狛犬越しに、田子倉(ダム)湖を見た。
国道の坂を進み、標高が上がってくると、山の木々の色付きが濃くなっていった。
10基目の入間木沢第1スノーシェッドを出ると、余韻沢を渡る只見線が眼下に見えた。
この余韻沢橋梁は只見線第二の長さを持つ田子倉トンネル(3,712m)に繋がっていて、田子倉ダム湖の中心部を見通せる貴重な“明かり区間”となっている。
今日はダムの貯水量が少ないが、満水時は車窓から水辺と「只見ユネスコエコパーク」の手つかずの自然の組み合わせを、一瞬ではあるが見る事ができる。
余韻沢第1スノーシェッドを出て、緩やかに右にカーブし直線部に出ると「田子倉駅」跡が見えてきた。
13:20、只見線「田子倉駅」跡に到着。田子倉ダムから約20分かかった。
「田子倉駅」は、1971(昭和46)年の只見線全通時に開業したが、2001年に臨時駅になり、2013(平成25)年3月16日に廃止された。
出入口は金属製の扉で閉ざされていた。隙間から間を除くと当時のままの姿が残されているようだった。
ホームも残されている。
駅舎は国道252号線と田子倉ダム湖の間、細長い空間に設置されている。
「田子倉駅」跡の標高は515m。「高積山」(1016m)の中腹に位置している。
只見沢がダムの水で満たされる水面上にホームがくるように橋脚を用い建てられたようだ。
「田子倉駅」跡は田子倉ダム湖では一番北に突き出ている場所にある。
駅の付近には民家は無い。この先、新潟県側の民家までは20km、戻って福島県側は田子倉ダムの石渕集落で7kmも離れている。
駅から300m程に、日本三百名山「浅草岳」の只見沢(田子倉)登山口があり、営業されていた頃の駅利用者は登山客と紅葉などの観光客だったという。
しかし年間の利用者が250名ほどで、一日1名を下回っていたため、廃止が検討され、実施に至った。 *記事出処:福島民報 2012年9月14日付け紙面
駅の周辺の建物は、2015(平成27)年10月4日にリニューアルオープンした「田子倉無料休憩所」だけだ。国道252号線沿いにある。
「浅草岳」登山客の他、国道252号線を利用するドライバーも自由で無料に利用でき、簡易式のトイレや木製ベンチなどもあった。
周辺には列車の撮影ポイントもある。岩肌を穿いている、只見線最長の六十里越トンネル(6,359m)の出入口。
この六十里越トンネル出入口には只見沢が流れている。沢に下りてみると、“撮り鉄”の方がトンネル出入口に繋がる只見沢橋梁に向けてカメラを構え、構図を探っていた。
ここから下流側、田子倉ダム湖に注ぐ方向を見る。渓谷というより、川幅と山の稜線から源流の風景といった感があった。
「田子倉駅」跡周辺の観光資源として、国道を4kmほど進んだ場所にあるアイヨシの滝と、そこから約800m先にある六十里越峠開道記念碑からの眺めがある。
今日はアイヨシの滝まで足を延ばした。
鳥帽子スノーシェッドを出て田子倉ダム湖を見下ろす。複数の沢が湖となった事もあり、湖岸が入り組み、見る角度や高度によって表情が変わっていた。
紅葉の最盛期には道を進み、田子倉ダム湖を見下ろすたびに、多様な絶景が広がることだろうと思った。
山の神第三スノーシェッドに入る手前で鳥帽子岳(998m)を見上げると、頂き付近にはガスが掛かっていた。
「田子倉駅」跡を出発して、約25分でアイヨシの滝の“展望場所”に到着。
標高も700mほどになり、さらに高い場所にある滝は見上げる事になる。周囲はキレイに色づき始めていた。
このアイヨシの滝は二つあり、眼下に見える田子倉ダム湖に落ちる滝がもう一方だという。
「田子倉駅」跡からアイヨシの滝までは傾斜がきつく、白沢トンネル(549m、歩道あり)内が無照明で怖さを感じるが、私の小径・変速機付き自転車でも25分ほどで到着できた。しかも帰りは田子倉湖駅跡まで約5分で下り切ることができ、大きな負担ではないという実感を得た。
また、アイヨシの滝の先にある六十里越峠開道記念碑までは、スノーシェッドを1基経るだけなので、800m程の登坂に耐えられれば、一体観光としてスケジュールに組むことは無理ではない、と思った。
上り列車が「田子倉駅」跡を通過する時刻が近づいてきたので、アイヨシの滝を後にした。
国道の下り坂を一気に進み、白沢スノーシェッドに着いて、只見行きの列車が来るのを待った。
14:17、列車が走る音が小さく聞こえ、まもなく、キハ48形二両編成(新潟支社色(青))がスノーシェッドを潜り抜け姿を現し、すぐに「田子倉駅」跡を囲むスノーシェッドに入っていった。
この写真を撮り、今日一番の目的は達せられ、只見駅方面に戻る事にした。
「田子倉駅」跡前の平坦な道を過ぎると、再び上り坂となり、入間木沢トンネル内で下りに転じたあとは、麓まで下り坂が続く。全身に秋の空気を感じながら、国道252号線を快調に自転車を進めた。
「田子倉駅」跡を出発して約30分で、只見ダム湖の外周に到着。自転車を停め、湖畔に下りてみた。ダム湖から国内屈指の巨大ダムを見通す景観は、やはり素晴らしい、と見入った。
この光景は、国内唯一で、只見線沿線の水資源(湖面の水鏡、水力発電など)を象徴するものだ。もっと活かせると、思った。
さらに自転車を進め、只見町の中心部に入り、サイクリングの汗を流すために、町営の“銭湯”「ひとっぷろ まち湯」に向かった。
玄関脇には、南会津地方の杉材を使ったサイクルスタンドがあった。ロードバイクに乗るサイクリストには嬉しいだろうと思った。
ゆっくりと湯に浸かった後は、再び移動し、B級グルメ「マトンケバブ」を食べに行った。独特の香りと、しっかり味が付いたマトンを味わい、只見町の旅を締めくくった。
代行バスの出発時間に合わせ、只見駅に向かうと、ホームには新潟支社色の青と赤が連結された、小出行きのキハ48形が停車していた。
17:45、駅頭に付けられた「ユネスコエコパーク」のラッピングがされた代行バスに乗り、会津川口に向かった。
代行バスは定刻に会津川口に到着し、駅舎を抜け漆黒の中に停車する会津若松行きの列車の乗り込んだ。
19:09、数名の乗客を乗せ、会津川口を定刻に出発。
20:58、列車は順調に進み、会津若松に到着。その後、磐越西線上りの最終列車に乗換え、22時13分に無事に郡山に到着し今回の旅が終わった。
「田子倉駅」跡の旅は、紅葉の時期には早すぎたが、初めて周辺をよく見る事ができ内容の濃いものになった。私は「田子倉駅」の復活を願っているが、今回の「田子倉駅」跡とその周辺訪問で、その思いを強くした。
詳しくは今年6月25日のブログに詳しいが、「只見ユネスコエコパーク」内にあるこの秘境駅は、登山・湖・紅葉・雪・自転車を組み合わせた“ネイチャーアクティビティの拠点”として十分利活用できると、私は考えている。*参考:拙著「只見町「浅草岳」山開き登山 2017年 初夏」(2017年6月25日)
今後、可能であれば積雪の時期、国道252号線(六十里越雪割り街道)の部分通行止め期間中に「田子倉駅跡」周辺の様子を見て利活用を考えたい。見学ツアーの企画があるのであれば、その機会を待ちたいと思う。
国内無二の立地と、ダム湖を含めた自然環境は「田子倉駅」の潜在力を感じさせ、復活の可能性を探りたくなってしまう。また「田子倉駅」跡を訪れ、考えを巡らせたい。
(了)
・ ・ ・ ・ ・ ・
*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室
「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト」
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。