温故知新~今も昔も変わりなく~【書評・第87回】 デカルト『方法序説』(岩波文庫,1997年)
18歳のときに教わった英語教師は少し変わった人で、その日のうちに進捗させなければいけないカリキュラムなどを無視して、英文学や哲学の面白さを語ることがよくあった。周りの生徒はどうであったか知らないが、壮年でスラっとした長身、品の良いスーツに身をつつみ、いろいろと知的好奇心を刺激してくれるこの先生に私は敬意を払っていた。
あるとき、英語の長文を読みこなすコツから、いかに物事を理解していくかといった話になり、さらには精神と肉体の保ち方といったテーマに分け入っていくなかで、その先生は哲学者デカルトに言及し、それを読んでみることを生徒に勧めていた。高校倫理でデカルトのことは習ってはいたが、当時、私はどちらかといえば中国古典や古代ギリシャ哲学への関心が強く、デカルト自体はきちんと読んでいなかった。デカルトを読むならばまずは『方法序説』からスタートしなさいとの助言を受け、すぐに書店に赴き同書を手に入れて読んだ記憶がある。ただ、当時、読了こそしているが、正直なところデカルトの考え方にそれほど感動はしなかったのも事実だ(ようするに当時はたいして理解できなかった)。
デカルトは一般的にはフランスの哲学者、近世哲学の父、解析幾何学の創始者などの肩書で知られる。1596年にフランスで生まれ、1650年にスウェーデンで亡くなっている。デカルトの父親が小貴族であったこともあり、彼自身はその一生を通して経済的には安定しており、お金に困ることなく知的活動を心置きなく堪能もできた(第三者に援助を求める必要がなかった)。デカルトは22歳までに学校教育(ラ・フレーシュ王立学院)を終えているが、そこで学んだ内容の価値に当時から懐疑的であったとことを告白している。
「幼少の頃から私は書物による学問で育てられた。これを手引にして、人生に有用な事といえばすべて明瞭に、かつ確実に認識を得られるものと吞みこまされていたので、この学問をまなぶことに私はどこまでも熱中したのであった。しかし一通りすべての課程を終え、型どおりに学者の列に迎えられると、私の考えは全く変ってしまった。というのは、勉強しようと励みながらも、しだいしだいに自分の無智を発見していったということを別にすれば、なんの利益をも受けなかったと思われるほど、はなはだ多くの疑問と謬見に悩まされたからである」(『方法序説』第一部)
デカルトは学校教育において、古典語、人文学、数学、自然学(科学)、哲学(スコラ哲学)、神学などの課程を学んでいる。このなかでも例外的に数学が持つ確実性には価値を認めるも、他の学問からは距離をとっていき、これら人文教養とは別で新たに物を考えていくアプローチを探る知性について展開していくのが『方法序説』である。
この本の岩波文庫版の表紙には、「理性はすべての人間に平等に備わっており,正しく用いれば人は誰でも自分の精神を最高の点まで高め得るという『方法序説』の言葉は,中世的迷妄主義からの独立宣言であり,近代精神の確立を告げる画期的なものであった。徹底的な疑いを通じて確実な真理に迫ろうとしたデカルト(1596-1650)の体験と思索が集約された思想的自叙伝」と紹介されている。限られたスペースでコンパクトにまとめられているが、「中世的迷妄主義」とは何であり、「近代精神」とは何を指すのか、私が同書を18歳で初めて手に取った時にはよくわからなかった。ただ、「徹底的な疑いを通じて確実な真理に迫ろうとした」という一文のインパクトは強く残った。
デカルトを後世で有名にした徹底的に疑うといった方法、ときにいわゆる「懐疑主義」と同等のように扱われもするが、デカルトの懐疑(疑う)には実のところ堅固な「安全装置」が含まれている。いろいろなものを疑うこと、懐疑することから思考を進めていき、そして自分のことも疑っていく。その先に疑って考えている自分の存在を確信するに至り、その疑うという行為の背景には完全なる認識を渇望するところを認め、そもそも完全といった概念を誰が保証するのかといった先に「神」の存在を言及していく。
「・・・私が疑っているということについて反省し、疑っているが故に私の存在はまったく完全であるとはいえない、なぜなら疑うことよりは知ることのほうが、大いにすぐれた完全であることを明白に認めるから、と反省してくると、自分が有るよりは一そうさらにすぐれて完全な何ものかを考えようとするのは、いったいそれをどこから私は知ったのであるか、そのことを私は追求したくなった。・・・かような観念は、私などよりもまさしく勝ぐれて完全な、しかもそのもの自身のうちに、私が何ほどかは知りうるような、あらゆる完全性をそなえたあるもの、すなわち一語をもっていえば、神なる本性によって、私のうちに注入されたのであるとしか考えられない・・・」(同書第四部)
いわゆる「懐疑主義」はときに無神論にも行き着くものとなったが、この点でデカルトの懐疑はこれとは一線を画している。ただ、デカルトは「神」に保証を求めてはいるが、そこに安易に寄りかかったわけではなく、懐疑といったアプローチの限界にまで肉薄を試みている。『方法序説』から数年後に出版された『省察』では次のような一文がある。
「そこで私は、真理の源泉である最善の神がではなく、ある悪い霊が、しかも、このうえなく有能で狡猾な霊が、あらゆる策をこらして、私を誤らせようとしているのだ、と想定してみよう。天も、空気も、地も、色も、形も、音も、その他いっさいの外的事物は、悪い霊が私の信じやすい心をわなにかけるために用いている、夢の計略にほかならない、と考えよう。また、私自身、手ももたず、眼ももたず、肉ももたず、血ももたず、およそいかなる感覚器官をももたず、ただ誤って、これらすべてのものをもっていると思いこんでいるだけだ、と考えよう。私は頑強にこの省察を堅持して踏みとどまろう。そうすれば、たとえ、何か真なるものを認識することは私の力にはおよばないにしても、しかし、次のことだけは確かに私にできるのである。すなわち、偽であるものにはけっして同意しない、ということである。それゆえ私は、あの欺き手が、どんなに有能であろうと、どんなに狡猾であろうと、私に何ものをもおしつけることのできないよう、つとめて用心しよう」(『省察』一)
我が徹底的に疑う道すがらで、神にその保証を求めざるを得ないことを弁え、同時に我は至らぬが故に錯覚をみさせられる可能性に留意し、我はそれと自身への警戒(用心)を常に怠らない。デカルトのこうした態度に私などは個人的には敬意を払いたいとも思う。なお、デカルトはこうした我が用いることのできる理性については、それがどのようなものであるかについては、深く語り得たとはいえない側面はある。デカルトといえば、「我思う、ゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム)がほぼイコールで取り上げられ、これがシンプルに扱われもするが、この一文に至るまでの道筋は多くの難所が隠されている。なお、彼自身は周りからどうみえたかは別として、知的には謙虚であろうとした人のようだ。
「ねがわくは、これまでに私の学んだ僅少のものは私の知らぬものに比べてほとんど無にひとしいのを私が隠そうとは思わないことを、だが学びうることに私が絶望してはいないことを、知っていただきたいのである」(『方法序説』第六部)
ところで、先に言及した岩波文庫版『方法序説』表紙上の「・・中世的迷妄主義からの独立宣言であり,近代精神の確立を告げる画期的なものであった・・」のくだりであるが、このようにシンプルに二分する方法もあろうが、こうした単純な表記を鵜呑みにせずに疑ってかかるような知的態度もまた大切だと思うのだ。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。