偉人『ヘレン・ケラーの躾と教育』
今回はヘレン・ケラーが乳幼児の頃に受けた躾と教育について考えてみる。
彼女のスペシャリティな人生はどこにでもあるようなサクセスストーリーではないが、彼女が受けた躾や教育方針は特段珍しいものではない。ただ彼女の置かれている環境が特別で優れた人々に出会い、彼女の能力を最大限に伸ばすことができたということである。
ヘレンが途中失明、失聴してからというもの両親は彼女をどう育てるべきか悩み苦慮していた。2歳の頃は料理人の子供と一緒にパンやクッキーの生地を捏ねて遊んだり、自分の思いを身振り手振りで伝え活発に行動していた。その後自我が出てくると自分の意思をより具体的に伝えるようになった。yesの時にはうなずき、noの時には首を左右に振る、来て欲しいときには相手の手や服を引っ張り、立ち去って欲しいときには相手を押す、パンを食べたければパンを切りバターを塗る真似をし、アイスクリームが食べたいときにはアイスクリームの機械を動かす真似をし身体をぶるぶると震わせた。また父をさす場合は眼鏡をかけ、母は髪を後ろで結う仕草など5歳で60もの身振りを身に付けていた。
母は娘へレンを不憫に思い全ての行動をそのまま受け入れた。ヘレンは自分の思う通りに母を動かすことを学んでしまったのである。ここから先は私のブログをお読みの方は察しが付くだろうが、へレンは思い通りにいかないと手当たり次第物を投げるようになり、手足をばたつかせて言葉にならない奇声を発したという。
またいたずらも凄まじく、鍵を掛けることを知ると母ケイトを食料庫に3時間閉じ込め、母のドアを叩く衝撃音を感じ面白がり使用人にもその被害が及んだのである。
同時に言葉で相手に伝えられないジレンマから苛立ち、大暴れし泣き叫ぶことが1時間ごとに起きるようになり、両親はこのような状況に悩み助けを求める手紙を専門家に出すほどであった。しかし見識の高い両親はこの状況を変えようと多くの文献に目を通したのである。
両親は当初ヘレンの視力回復の道はないかと幾つかの病院で診察を受けるも回復の見込み無しとされ、視覚障害者として教育を受けるよう薦められた。当時の鉄道事情を考えると500キロを移動することは大変なことであるが、それでも一縷の望みを託した親の愛情がいたいほど感じる。電話の発明をし障害者教育に尽力していたアレキサンダー・グラハム・ベルを紹介され、彼を介して50年にも及ぶ献身的サポートをしてくれるアニー・サリバンと出会ったのである。やはり愛情だけではなく経済的に恵まれていたからこその特別感は否めない。
この若き家庭教師となるアニー・サリバンは孤児院の出身である。その点にヘレンの両親は少なからず抵抗はあったようだが、動物的な癇癪で暴れる娘を何とかしたいとの思いが強く、盲学校の校長の勧めもありサリバンの受入れを受諾した。
ある日食事中にヘレンはとなりのサリバンの皿に手を伸ばした。自ら食べたいものを人の皿から取ろうとしたのである。その小さな手を押し戻しその行動はしてはならないと教えるが、これまで好きかってしてきたヘレンは唸り声を上げる。無理に教えなくてもよいのではと話す母に「好きなことをさせるのはこの子のためにならない」と毅然と対応とったのである。
両親は子供を不憫に思う気持ちと手に負えない状況から逃れたいとの気持ちがあり毅然とした躾ができなかったのであろう。いわゆる躾の負の連鎖に陥っている状況である。ヘレンの場合には一方的に自分のメッセージだけを伝えることから生じたものであるが、健常児の中でも親の躾け方如何では大人が手に負えないとなる子育てを招いてしまう。
サリバンの厳格で限りない慈愛と忍耐を持った献身的な教育のお陰で、ヘレンは理性を持ち好奇心旺盛で努力を怠らない人物に成りえた。その毅然とした躾と広い学びを促す教育は現代の親にとって学ぶべきものは多いと感じる。
サリバンは甘やかし我がままを容認する親と使用人からヘレンを引き離し教育することを決意した。たった二人での生活が始ったのである。当初は暴れるヘレンもこの人に我がままは通じないのだと理解すると、素直になりサリバンの対応に心開くようになった。朝起きてから身支度を整える躾から始まり、2週間で物に名前があることを学び、3ヶ月で300もの言葉を覚えたのである。本来は親が教えるべき躾もサリバンが教え、視覚教育を施しヘレンの持ち前の好奇心を刺激し向上心を伸ばしたのである。
実はアニー・サリバンも漆黒の闇を同じように経験し、手術により光を取り戻した人物である。よって失明者の見えないことへの苛立ちや心情の乱れを理解できていたのであろう。サリバンという最高の教育者を得てヘレンは自らの使命を果たせたのである。ヘレン・ケラーの人生に光明の光を与えた最大の功労者はアニー・サリバンである。彼女なくしては世界の障害者教育も進まなかったではないだろうか。
私は親は最高の教育者になれるチャンスは誰しも持っていると考えている。しかし世の中経験値というものが不足し専門家に任せたほうが良いと判断する。これは仕方のないことであるが、躾のスペシャリストには親は必ずなれるはずだと考えている。サリバンがヘレンを親から切り離す決断をしたのは躾のし直しのためである。それはなぜおきたのか。それは親の認識不足と何が不憫なのかということの履き違えによるものだ。
アニー・サリバンがヘレンの家庭教師に付いたのは22歳である。そのことを思うと情報がいとも簡単に入手でき便利なツールがある現代に於いて、躾のスペシャリストになれない訳がない。最高の躾は父や母ができると誰もが断言できる日の訪れを心待ちにしたいものだ。