「お前には世話になったねぇ、私が死んだら、ちゃんと生きて、優しい人のところにもらわれて、幸せになるんだよ」
僕のパートナーは、おばあちゃんですが、高齢に関わらずたくさんの野菜を作っている働き者の農家でした。おじいちゃんと死に別れてからは、僕は今まで以上におばあちゃんの支えになるように頑張りました。だって、おばあちゃん、80歳の半ばを過ぎても頑張っている。今は農家は大変だから、若い人もやりたがらない、周りの人も、みんなおばあちゃんくらいの歳で頑張っていて、やっぱり、僕の様なワンコやニャンコ達が支えているんだから。都会に行ってしまった息子さんや娘さんはめったに帰ってこないから、おばあちゃんの支えは、やっぱり僕しかいないよね。それに、野菜を作る人がいなくなったら、人はどうするのだろう?都会に行けば野菜なんて必要ないのかなぁ…
そう言えば、一度、おばあちゃんが具合が悪くなった時に、少し離れたお隣りさんを、必死に呼びに行って、救急車を呼んでくれたことがあった、おばあちゃん「僕の為にも元気で頑張るよ」って言ってくれていたけど…それからも、おばあちゃん、山のように野菜を作って、みんなに喜ばれていたよ。でも、ある年、調子を崩して、寝込むことも度々になっちゃった。「お前には世話になったねぇ、私が死んだら、ちゃんと生きて、優しい人のところにもらわれて、幸せになるんだよ」と寝込む度に目を潤ませていたおばあちゃん…
今、目の前で注射器をもった先生が、僕を見ながら「おばあちゃんのところに行くんだよ」といっている、僕は「おばあちゃんに、ちゃんと生きるって約束したんだ!幸せになるんだ!」と人には理解できない声を上げました…
日本の殺処分は続いています…
欧米では確かに殺処分は続いています。しかし、シェルターから、命の選択をする人は、新たに飼い始める方の6割以上に昇ります。しかし、日本ではその命の選択肢は1割にも満たない数値でもあり、近年はさらに減少しています。
日本での殺処分の属性の6割以上は、このように飼い犬猫よりも先に亡くなって方や病気などで飼えなくなったという原因と言われ、この原因を飼い主の身勝手と一色単に非難し、社会の日常から追いやられています。確かに本当に身勝手な飼い主は数%いるのかも知れませんが、実際は人を支え、人とともに月日を歩んだ犬猫たちです。殺される犬猫の悲痛な叫びはもちろんですが、後に残した飼い主がいかに無念かは想像されます。
死後の世界を人の都合や願望で作り上げる事は、勝手ですが、他者に押し付けて善しとする風潮は決して許されるものではありません。
最後まで、生きるを信じ最善を尽くすこと、犬猫を本当に大切に想う私たちの務めと心より願っています。
一匹でも多くの犬猫が幸せに巡り逢えますように!