ヴァイキング9-教皇の神風とシチリア占領
2017.10.14 02:10
カール大帝を戴冠させたレオ3世は有能なことは有能だったようだ。それ以後の教皇は、この子孫による帝国の内乱を止められなかった。そして海の脅威は北だけでなく、南からも襲ってきた。イスラム海軍(海賊)である。846年にはイスラムは総本山サンピエトロ聖堂まで侵入し、かろうじて撃退された。
847年に教皇となったレオ4世は、ローマの防備を強化、サンピエトロを含むテヴェレ川右岸の防壁を建設し、そこは「レオの市街(キヴィナスレオニナ)」という名で今日まで残っている。そして再度イスラムが侵攻してくるとき、レオは南イタリア連合艦隊をつくりローマ近郊の港オスティアに集めた。
教皇は自らオスティアに赴き、「神よ救いたまえ」と聖戦を宣言した。港にイスラム船が押し寄せ、戦闘が始まる直前、猛烈な風が吹き、寄せ手のイスラム船がぶつかり、大混乱を起こした。そのおかげで、キリスト教艦隊は勝利したのである。蒙古の神風ではないが、当時神意を信じないわけにはいかなかったろう。
しかしイタリア半島先端の島シチリアは、827年からイスラムの侵入に晒され、831年にパレルモが陥落。877年にはついに首都シラクサが陥落し、シチリアにイスラム国家が成立した。ヴァチカンは、攻め込まれる危険からシチリアイスラムと交渉し、支配を認めるかわりにキリスト教保護を要求し、多様な文化がこの島で育つ。やがてここにもヴァイキングがやってくるが。
下はラファエロ作「オスティアの海戦」