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WithTheTea

お茶の講座・歴史

2017.10.16 02:00

 

  日本茶について知る

お茶の歴史

・ お茶がどのようにして日本に伝わったか。 

・お茶の始まりは、前漢時代の紀元前59年ごろといわれています。

 四川省の憧約という文献に「茶を煮る」とか「茶を買う」

という表現が残されています。 

中国の西南部にあたる雲南省の山岳あたりといわれています。 

そこから、日本やインド、ヨーロッパなどに伝わっていきました。 

 

・奈良時代に、正倉院文書や平城京跡地で発見された木簡には、

茶の文字が記載されています。 

 ・日本へお茶が来たのを、はっきり記されているのは、

平安時代になります。初めは今のようなお茶ではありませんでした。



初期のお茶は、お茶の中に具を入れた雑炊のようなものでした、

色も茶色の色をしていました。 

 ・ 遣唐使が中国へ行き、お茶をそこで飲んで日本に持ち帰ったとされています。 815年僧永忠という僧侶が嵯峨天皇へ茶を献上した

という記録が「日本後記」に残されています。



宮廷の儀式(引き茶)として残ったものの、

遣唐使の廃止とともにお茶文化は途絶えます。 


 ・その後、鎌倉時代にはいり、皆さんが住んであるこの

京都の建仁寺をひらいた栄西(ようさい 栄西とも呼びますが)

京都の栂尾高山寺などにお茶の木を植えたのを機に

その後日本にお茶文化が発展していきました。



この時中国は宋の時代抹茶の原型ともいわれるお茶が流行っていました。

それを日本にもってきてゆくゆくの抹茶になったとされています。





明恵上人が宇治にお茶を広めたときに、

馬に乗って畑に入り、馬の蹄の形に茶の種をまいたと

されていまして、そこから宇治の茶どころ伝説が始まりました。


 ・南北朝時代には、お茶の産地が広がっていきました。

そして、室町時代には、千利休で有名な「茶の湯」ができます。 

・そして、中国が明の時代には釜で炒ったお茶が流行っていました、

それを日本に持ってきたのが、万福寺を開いた中国の僧侶の隠元です。

日本の禅寺を初めて建てた人ですね。 

 それから釜炒り茶が日本で広がります。

こうしてわかるように、日本のお茶は中国へ

行ったりした僧侶たちによって伝えられているのです。

 広めたのは、隠元の弟子といわれる売茶翁といわれる人物です。 

このころまでは、お茶はとても高価なもので

ある程度の身分の人しか飲めなかったりしましたが、

このひとによってそれは崩されていきました。 


  ここは余談になりますが、

若冲はこの売茶翁に感化されて、すごく慕っていました。

そのため、若冲は人物画をあまり書かなかったそうですが、

売茶翁の絵を多く書いています。

  今の日本茶といわれるきれいな日本茶の代表は江戸時代に

ひとりの人によって作られました。



その人は永谷宗円さんという人です。 

 15年かけて緑色のお茶を研究してやっとできたものを自分だけのものに

せず、あらゆるところに教えることで、日本中に今の緑色のお茶が広まりました。 

 人間いいものは、人にも教えてあげるという思いやりの精神が大切ですが、

お茶にはそういういった精神も入っていてそれが、今現在、こうしてお茶を私たちがお茶を飲んでいることにつながっているのです。



先ほど話した売茶翁も永谷宗円のお茶に感激して、

お茶について一晩語り合っています。 

 その後、黒船来航、ペリー来航以降、お茶が重要な輸出品になります。 

日本の輸出品は第一位が生糸で第二位がお茶でした。その当時の人は、

日本のお茶に関心を持っていて、シーボルトもその一人で、

帰国後にお茶についての書物をかいています。 

 それくらい日本のお茶はとても貴重な存在だったんですね。