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信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・52(伊達家との停戦と、最上義光の家督継承)

2017.12.02 00:00

永禄4年3月の山形城で、不思議なことが一つ起きた。

山形城城下で起きていた民の一揆が止んだのだ。

城主・氏家定直は、大広間で痩せこけた姿で座り込んでいた。

死ぬときくらいは、わしを怨嗟する声を聞かずに済んだかと力なく笑った。

しかしその代わりに聞こえているのは、それよりもはるかに恐ろしい、総攻め前の鬨の声だった。

最期の時である。


城の外では伊達家の包囲軍が鬨の声を上げていた。

総大将の穴沢俊光が強い眼光を放って、苛立ちながら各武将に指示を出していた。

「いいか、背後から誰が襲おうと構わない。誰が裏切ろうとも構わない。目の前の者を殺すだけだ!総攻めだ!」

そう声を張り上げている時に、遠くから最上家の兵が駆けてくるのが見えた。

「朝廷より和平の使者である!控え、控え!」

穴沢俊光は天を仰いだ。

来たかと。

朝廷が最上家保護に動き、伊達との和平を命じてくることは、当主・晴宗もこの穴沢俊光も関知していた。

伊達家は奥州一の大大名であるのだから、朝廷の動きくらいは知らぬわけはない。

そして、穴沢俊光はニヤリと冷たく笑って、こういうのだった。

「奥州一の大名が、力のない公家のいうことなど、聞くわけなかろう。そもそも誰も朝廷など見たことないわ。」

穴沢俊光は天下へ大号令するかの如く、周りの将兵に怒鳴った。

「皆の者、最上の最後の悪あがきが来たぞ!我らの大軍勢で踏みつぶせ!」


大軍勢の包囲軍が、北方より駆けてくる一人の武者に向けて動き始めた。

だが武者のその速さが尋常ではなかったので、穴沢俊光は身震いし、すぐさま「矢を放て!」と声を張り上げた。

矢は武者のはるか後方へ落ちていき、軍勢は武者の姿を目の当たりにして、息をのんだ。

そして行く手を避けるように、城への道を我先にと造り始めた。

「醜女じゃ!醜女の祟りじゃあ!」

誰彼ともなく発せられたこの言葉は伝令のように軍中に伝わり、伊達軍は激しく動揺した。

穴沢俊光は醜女と呼ばれる小梁川宗朝の娘を見たことがなかった。

だから寝返りの騒ぎが起きた時に、当主・晴宗は穴沢俊光を総大将に任命したわけだが、軍議に参加していた蘆名盛氏は違った。

蘆名盛氏は小梁川宗朝の娘が宴席でいたぶられる様を、自分の目で見ていたからだ。

その姿は、小梁川宗朝の娘そのもののであり、女としては醜い顔だが、男としては力強い顔だちだったのである。


そしてその男こそ、最上義光だったのである。


城内では、物見櫓の上でこの様子をみていた兵士が、大広間の氏家定直のもとに駆け出していた。

一方で武者はすでに城の前に立ち、背負っていた一人の公家を降ろした。

遠くから見ていた蘆名盛氏は、それが朝廷の使者であることを認め、穴沢俊光に伝えた。

蘆名盛氏はかつては大名格の武将だったので、朝廷の印も烏帽子から見て取れたのである。

城内からは鬨の声が上がり始めていた。

死力を尽くした声ではなく、1年近く籠城したとは思えない、生命力に満ちた声であった。

声はだんだんと大きくなり、包囲軍を飲み込んだ。

「開門!」

最上義光が叫ぶと、城門は開いた。

だが、義光は城内に入らず、振り返り伊達軍に大号令した!

「朝廷より和平の使者である!」と。


穴沢俊光はこれを無視し、軍議を再開しようとしたが、蘆名盛氏がそれを止めた。

朝廷の使者を殺しては、伊達家の繁栄はない。

包囲網の外に別の従者がいる場合もあるだろうし、目撃者を始末することは出来ない。

城外への抜け道もあるだろうと諭した。

そして一刻の時を経て、両軍は和平調停に入った。


和平交渉が済み、伊達家の撤退が始まったのちに、義光は定直に聞かずにはいられなかった。

どうやって持ちこたえたのかと。

義光からみても、到底この城が2万近い軍勢を前に1年近く持ちこたえるとは、思えなかったのである。

「おおきゅうなられましたな。」親し気に話し始めた定直の話はこうだった。

この山形城は、三の丸を二度築いている。

一度目は失敗したことになっているのだが、実はこの時に大規模な地下空洞を見つけたのだという。

当主の義守はその空洞を脱出用の抜け穴として利用することに決め、見つけて拡張させた職人を全員殺害して場所を秘匿した。

蘆名盛氏が攻め手の総大将の頃は、この抜け道を使って城内から出陣し、包囲軍を背後から襲撃して、すぐに帰還していたという。

一揆がおきたころに、城内に昔、伊達家の傘下だった頃の軍装や旗があることを思い出し、これを着込んで襲撃を繰り返したという。

これが寝返りの噂になったのだろうということだった。


※今回の展開ですが、いわゆる裏技の、出丸を使った交戦キャンセルを使用した形になります。

これは、私がこの裏技をゲームを開始する前に知らなかったので、縛りプレイにいれてはいませんでした。

伊達家に大軍で攻められ、絶体絶命の状況になり、もしかしたら形態変更の時間を使用した時間稼ぎの技があるのではないかと、試みたことで発見しました。

しかしながらこの技は、いくつもの戦闘中は操作ミスが発生しますし、また一瞬ですが包囲されるので、士気の低下は起こります。

天童城や真室城が陥落したのは、士気の低下によるものです。

きっちり城を強化した山形城ならではの、奇跡的イベントとして、このプレイレポートでは取り扱うことに致しました。





そしてこの時、義光は一通の書状を定直に差し出した。

義守からだという。

義光は義守と陸中国の港で落ち合っていたのだという。

そしてこの書状を受け取ったのだと。

書状にはこう書かれていた。

「わしは隠居する。この度は多くの者に迷惑をかけた。定直が認めるならば、この義光に家督を譲る。認めぬならば、二男を元服させて家督を譲る」と。

定直の腹は決まっていた。

永禄4年3月、最上家では最上義守が隠居し、最上義光が家督を継いだ。

最上義守:この辺りで身を引くとしよう。

    :あとは頼んだぞ。

最上義光:しかと承りました。

    :お家のため、力を尽くしまする。


永禄4年3月。

義光は居城は徳山館とすることを伝え、しかし本拠地は角館城にすると布令を出した。

全ての触れは角館城から発せられ、全ての書状は角館城に集めるようにとの指示だった。

政策としては「内治外謀」と呼ばれたこの政策は、実は隠居した義守が角館城やその近隣で院政をしく仕組みだった。

ただ義守は権力を保持するというよりは、義光の教育時間をしばらくの間はとる必要があると考えた上での施策で、実際は可能な限り徳山館の義光の許可を取った。

そしてかねてより問題視されていたいくつかの本城の支配圏が、この本拠地の移転により拡大した。

政策としては他には、目安箱を設置したり、夫役強化を再び実施したりした。

永禄4年3月。

武田家は松平家の長篠城を攻略した。

また武田家の飯富昌景隊兵1500は、松平家の吉田城へ侵攻した。

永禄4年3月。

赤松家の浦上家の室津城への侵攻は、失敗に終わった。

永禄4年3月。

大村城をめぐる島津家と竜造寺家の戦いでは、大友家が竜造寺家の側につき救援した。


ところで、私のブログの昨年の殿堂入り銘柄「2402 アマナ」( http://ameblo.jp/kurasitoyume/theme-10100314026.html  )にアマナイメージズという子会社があって、ここがストックフォトを扱っていますので、そのサイトで今回は

「長崎県」を検索してみましたら、8,727 件の画像がヒットしましたよ。


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