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フェスボルタ文藝部

ガラス、スティール、その頃の目覚め(岡田靖幸)

2017.10.17 18:37

 今日こそは、っと思い先週の頭からやっている下北沢にある個展に出掛けた。中々休みの取れない仕事三昧な先週今週をやっと乗り切った自分へのご褒美にでもなればいい。下北沢も随分と久しぶりになってしまっていて、うわーホーム…って言葉がうまく出てこないぐらいの変貌を楽しんでみる。えーっとこの角曲がると、の前にここ本屋なくなってるし、あ、ピザ屋さん。これが今流行のフレンチフライ? 人の記憶に残ってるものや残りそうなものってやっぱり人によって変わるし、そこにこそその人が現れてる。俺を実験台にそれが判る。うわーあの角曲がると見える風景の構図が素晴らしくって、って憶えてる誰かもいるし、人によって記憶の街は全然違うんだろう。風景はコロコロ変わる。けど、変わらないものもあって、それって何だろう。あれ、傾斜? と下北の坂道を登ってみたり下ってみたり。


 散歩ってのは何にもしなくたって歩けば散歩だから好きなんだ、って由枝ちゃんに言うと、

「確かに。海は泳いだりはしゃいだり眺めたり色めきだったりするけど、散歩はね」

とか言いつつ好きじゃんの流れがあって、今日はどこまでレールを作ってどこから空へと飛び出そうかと俺は考える。

「散歩だって集まったり蹴散らしたり食らったり墓穴掘ったり出来ればいいよね」

「それさっきの前提と違ってない?」

阿保を見るような顔で阿保の俺を覗く阿保なりかけの由枝ちゃんを横目に、俺は手を自分の頭の上まで持ってきてクルクル回した。

「違ってはないよ。歩けばそれで散歩になるんであって、そこに何をトッピングしたってやっぱり散歩は散歩なんだよ」

「じゃあ、なんつーのさ? ご飯ですか? 永いこと海外に行ってて、行った先々でついついあー和食が食べたいあー日本人は米だなって言ってるようなもん?」

「ごめん由枝ちゃんそれわからない」

「わからなくしたのです! で、日本に帰ってきてすぐ夕飯にありつくんだけど、あ、夜に帰ってきたって設定ね」

「承認します」

「お店に入ってパクついて、あーやっぱり米サイコーって言って食べてるのがビーフシチューライスってやつ?」

「それあれでしょ、途中までカレーライスにしよーと思ったけど、日本の味っぽいから路線変更したっしょ」

無言で尻を叩かれる俺と、由枝ちゃんは並んで歩いていて、後ろからくるかもしれない自転車のことなんて全然気にもしていない。

「じゃ、君はそんな旅の後にはどうするの?」

「俺? 俺はパンで食べるよ」

また尻を叩かれる俺と由枝ちゃんはテキトーなカフェに入ってカフェ飯を食べようかと言う話には一切ならなくって家系ラーメン屋に入る。

「麺固め味濃いめ油多め」

の俺と

「全部普通で」

の由枝ちゃんはテーブル席に案内されて、ベトベトした床で滑らないよう注意しながら席に座った。

「君は旅から帰ってきたら何を食べたい?」

「うーむ。俺海外行ったことないからなー。旅先ではいつも食べたいもん食べてるし」

「私はお土産!」

「またちょっと君に惚れてる」

今は椅子に座ってるので俺の尻は安全です。

「最近と過去と今が地続きになっているのに自覚的な君は、私達の最近ミームをお判り? そしてそれが過去じゃなく今じゃなく最近だと云える?」

「え、ちょっと冷めた」

彼女の喝! の前に俺が水を汲んできて、由枝ちゃんに差し出す。

「ありがと」

機嫌は直る。そして、ここの家系ラーメンの食べ方の極意を2人で読んで実践しながらズズッと食べる。

「随分あっさりと極意を教えてくれるんだね」

彼女はフンッと空笑いをした。

「そのままの意味で捉えるってことがそもそものナンセンスだわ」

「でも、ウソ教える飲食店なんて今時立場的に厳しくない?」

「だからみんな騙されてるんだって」

由枝ちゃんの話に熱が入る。

「極めちゃったら飽きちゃって通わないじゃない。エセ極意を教えてずっと通わせるっつー寸法よ」

「でもさ、極意を教えてそれで食べたら、それがエセであってもお客さん的にはこの味がここの極めバージョンなのかって、納得して飽きて結局店から遠のくんじゃ?」

「まーそんな極意に言葉の重みはねーのよ」

「ご飯いる?」

「オーキドーキー!」

「すみませーん」

俺の声は通らず、水分が少なくなってきた餃子を焼く音、飯を炒める音、店員は店員通しの意思疎通で手一杯、耳は2つしかないのさ。

「すみマザファッカー!」

由枝ちゃんが言って2人でパッと店を出た。


 個展に行くなんて、多分人生初めてで、それはレセプションパーティーとかあの観る人達によってなされる絶妙な空間創りが、端的になんかウゲーってなるからだった。それなのに出向くのは、凄く魅力的な展示故。それに、青山や銀座での展示に比べたら下北沢の展示はハードルが低い。12畳くらいの小さな画廊。床から天井までビッシリと写真で埋め尽くされている。その写真の被写体はどれも同じ人間で、女の子で、ソーダ色のワンピースがよく似合うようだった。実際は白の、クッキリとしたキャミソールや身体のラインが強調されるタイトなオーバーオールで、全体は青、背景の多くが青空や海をバックに撮ったものが多く、彼女はポップを背負っている。

「成長したなーこの娘」

とジロジロと舐めるように見ていた面長の男がそう言った。すかさず、

「知り合いなんですか?」

と俺は喋りかけた。

「えっ、いや、でもよく知ってるよ」

困惑しながら男が言った。そんな言葉に俺が爆発しそうだ。


 1ヶ月経って、俺はまた其処にいる。また、彼女の写真を見ている。どうやらひと月に一度個展を開いているらしい。心がもぎ取られるように写真に向かってしまう俺。この前とはまた違う写真群だが、海や空をバックに白い服を着ているというのはどれも一貫していて、彼女は紛れもなく現実で、これらの写真は現実の彼女と地続きで、それでいて全部嘘にも思えた。が、隣でジロジロと観ていた50過ぎの婆が

「こんなに綺麗になって」

と涙すら出そうな感じで言っていたので、やっぱり彼女は真実だ。彼女に見惚れていると声をかけられる。

「今日はもう終わりです」

受付をしてくれていた水色のシャツが清潔そうな若い男。

「まだ入って5分ぐらいなんだけど、もうちょいだけ見せてくれない?」

「5時間くらいいますよね? 流石に気味悪いですよ」

男はケラケラと笑っていたが、俺はクスリとも笑えなかった。いつの間にか彼女に時間を奪われていたのだ。


 心臓というのは一生の内に20億回打つらしい。この分だと、彼女に億単位の心臓音を届けてしまいそうで、でもよくよく考えてみれば、彼女は写真の中にいて、絶対に心臓音なんか届かないし、更に言っちゃえば普通に近くにいる生身の人間で心臓音なんか聴こえる奴は今すぐヒーローか悪人になった方がいい。でも待て、別に彼女は死んでねぇ。ならば心臓音が聴こえちゃうぐらい接近すればいい。それは甘酸っぱくたって、饐えてて苦くったって、それだけでいい。とりあえず俺は身体を写真に擦り付けた。そしてそのあとこっぴどく怒られたんだ。


「横になっていてね、よく電気が身体を駆け抜けるのを感じるわ」

眩しそうに太陽を浴びていながら、彼女はベラベラし始める。

「テレビからスタートしてね、フローリングを通ってもちろん壁も通って天井も通って。それで私を通り抜けるの。まるでガンマナイフのように私に照準が合ってそして色んな場所をまた這うの」

「あのパキッってなるやつでしょ?」

「そうだけど違うの!」

「そーゆーもん?」

「疑問でも?」

彼女はロング丈のスカートを履きこなして、今日は妙に大人ふかしている。

「あの私の経験を勝手にしやがれ!」

荒れている、ことだけしか判らなかった。大人だった彼女は何故かもういなくて、何か言っても

「あ? 抜刀すんぞ??」

しか言わなくなっちゃった。こじんまりしたケーキ屋の銀紙の上にチョコンと乗った生クリームと黄色いカスタードのシュークリームを買ってあげるとパクつき、何もなかったかのように機嫌も良くなったので俺はそれが悲しかった。


 連日のどうでもいい日々は、この日の為にあったんじゃないかと確信する。また彼女の写真を観に行くとそこは、彼女の部屋。常識がヘタを打った。

「あんた誰?」

あのねあるあるこんなシチュ、だとしてどうにも出来なくて苦しい。空間がガラリと変わっても、状況がギュルンと変わるのはその限りではない。

「俺は君を見続けようって決めた」

一通りの情報を公開した後、そう言うと彼女はサウスポースタイルで俺に左ミドルキックを入れた。脇腹は変形し、もう距離は詰められ右ボディから右フック、反対側の脇腹も変形を止めることができない。

「そんなことをしても俺の気持ちは変わらないし、変わると思ってる君の考え方を変えられるようなこの俺に君は付いて行くべきで、そんな君を俺は見続ける」

殴るのを止めた彼女はポットの水を沸かし、俺にコーンクリームスープを作ってくれた。

「インスタントって好き。だって振舞っても恩着せがましくないじゃない?」

その時、彼女が俺だけに見せた初めての笑顔。


 楽しい時を繋ぎ合わせて、ずっと楽しいと思えるような環境の中で暮らしていければいいな、と俺の横にいる彼女にそんな願望のような愚痴のようなどっちにしろバカなことを漏らすと、

「良薬、バカにはもったいなし」

とキスをしてくれた。

「俺はてっきり写真を撮るのかと思ったけど」

「だからバカなんだよ。写真の中にはもう私は居ないんだから。切り取って写ってるけど、それは私の残像でしかないんだよ。ここで、今キスしたのは誰? 私は誰? ここはどこ? 幸せって何? 私が居なきゃあんたは楽しくないし、繋ぐも何もずっと一緒にいればずっと楽しい」

だからバカには拳が有効なのよね、と漏らす彼女と行く個展は、最近仕事を頑張っていた俺へのご褒美にでもなればいい。