ZIPANG TOKIO 2020「国生み神話の始まりの地 最初に生まれた島『淡路島』(第三話)」
島の伝承によれば「上立神岩」こそ「天の御柱」
世界一の「鳴門うず潮」
勾玉の形をした島「沼島」
おのころ島神社 日本三大鳥居
おのころ島伝説「絵島」
淡路人形浄瑠璃
淡路人形浄瑠璃
国生みゆかりの地「淡路島」
日本で最古の歴史書『古事記』の冒頭を飾る「国生み神話」。そこには、伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱の神様が生まれたばかりの混沌とした大地を天沼矛で「塩コオロコオロ」とかき回すと、矛先から滴り落ちた塩の雫が固まって「おのころ島」ができたと記されている。
おのころ島で夫婦となった伊弉諾尊・伊弉冉尊は、日本列島の島を次々と生んでいく。その中で最初に生まれた島が淡路島である。
二柱の神様が沼矛で下界をかき回し、落ちた塩の雫からおのころ島が生まれた描写は、「海人(あま)」が生業とした塩づくりの様子に重なる。また、沼矛でかき回すことによって下界が渦巻くさまを記した場面は、海人が活躍した鳴門海峡の巨大な渦潮を想像させる。
現在も鳴門海峡では世界最大級の渦が巻き、島の内外には絵島や沼島、自凝島(おのころじま)神社などおのころ島の伝承地がいくつも点在する。また、国生み神話ゆかりの「えびす舞」を起源とする淡路人形浄瑠璃も地元の淡路人形座によって大切に伝承されてきました。
「国生み神話」の始まりの地
先山千光寺
ひっそりと目立たない場所にイザナギ・イザナミが祀られた祠を発見。なんでも「国生み」の時、最初に作られたことから「先山」と名付けられとか....。ここでも「国生み」伝承がさりげなく息づいていることに感心してしまう。イザナギ・イザナミは淡路島の人にとって身近な存在なのに違いない。
先山千光寺は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱の神が国生みの際に一番始めにできた山ということから「先山」と名付けられたと伝えられている。先山の頂上につくられ、淡路四国八十八ヶ所第一番の札所になっている千光寺やそのすぐ下方には天の岩戸に姿を隠した天照大神を祀る岩戸神社などがある。豊かな自然と共にある「国生み神話」の始まりの地である。
天照大神を祀る岩戸神社
千光寺の境内には、国の重要文化財に指定されている梵鐘のほか、運慶作といわれる仁王像、本堂や三重塔、鐘楼堂などが建てられている。また、千光寺の縁起にちなんだ狛猪も見ることができまる。山頂からの眺めは「洲本八景」の1つにも数えられており、信仰の山の静かな雰囲気や自然の豊かさを満喫しながら、眼下に広がる絶景を楽しむことができる。
霊峰先山
先山は「国生み神話」ゆかりの山で、イザナギ・イザナミの二柱による国土創世のとき、日本で一番最初につくられたとされる由緒ある山である。
千光寺由緒
先山の山頂に位置し、古くから人々の信仰を集める千光寺には、大猪に化身した観音菩薩に導かれた狩人がこの地に千光寺を開基したという不思議な縁起が伝わっている。境内では縁起にちなんだ珍しい駒猪が見られる。
「先山千光寺」あわじ花へんろ第29番札所
(5月上旬:ツツジ、11月下旬:紅葉)
その優美なシルエットから「淡路富士」と呼ばれ親しまれてきた先山は、秋の深まりを伝える彩り豊かな景色や美しい眺望が、洲本8景にも数えられる風光明媚な土地。この山頂にある千光寺は、淡路山岳信仰の中心となってきた名刹で、秋の紅葉シーズンには、荘厳な建物に挑むように色づく紅葉を一目見ようと多くの人が先山を訪れる。
大和大国魂神社
奈良の大和坐大国魂神社(大和神社)を勧請した神社で、淡路の二之宮。九世紀には既に官社であったという。明治になってからは県社となっている。延喜式では名神大社に列する古社である。御祭神はかつて伊弉諾尊・伊弉冉尊とされていたが、現在は大和大國魂命である。
近世になって阿波藩主である蜂須賀家の崇敬を受け社殿が再興された。鎌倉中期の僧として知られる一遍上人が正応二年(1289)に参詣し、「名にかなふ こころは西にうつせみの もぬけはてたる 聲ぞすずしき」....という和歌を奉納している。さらにこの神社を拠点にして念仏布教を行ったともいわれている。淡路には淡路国総社として知られる「十一明神神社」があるが、「大和大國魂神社」は合祀されていない。神社として別格扱いということであろうか?。
歴代天皇家との深いつながりがしるされている。
大和政権が淡路への進出に際して、大和坐大国魂(やまとにいますおおくにたま)神社が分祀されたものとされるが、詳細は不明だとか。
淡路島の歴史や「国生み」の伝承を考え合わせると「淡路への進出」という点は納得しがたい。いずれにせよ、淡路の地が天皇家と深いつながりを持ち続けた事はいえそうである。
幽宮(かくりのみや)伊弉諾神宮
「幽宮」(かくりのみや)とは....仕事を終え、隠居する家というほどの意味だそうである。
伊弉諾大神が余生を送った地に建立された神社。
反正天皇ご生誕の地「参観神社」
反正天皇は仁徳天皇の子である。
御由緒
淡路島と朝廷との関係が深かった事が綴られている。これ以後記紀を取上げて 仁徳天皇が遊猟の折りにお供された皇后磐之媛がこの地で出産されたこと、その時、清水の湧く瑞井(産湯池)のお水を産湯とされたということらしい。
古事記にも登場する「御井の清水」
これも「御食国」たる証しか?この清水は朝廷でも飲まれていた。
岩屋からなら、車で15~6分。
大阪湾を眺めながら国道28号線を南に向かうと左手右手に妙見山となる。その切り立った山のふもとに「御井の清水」はある。
古くから淡路地域は名水の産地だそうで、この清水は天皇の飲料水として朝廷に運ばれたいた「淡路の寒泉(しみず)」だと伝えられている。
古事記の仁徳天皇の段の最後のところに「淡路の寒泉」が記された枯野という船のお話があるので.....
仁徳天皇の治世の折り、とても高く大きな木があった。朝日が差せばその影が大阪湾を越えて淡路島に届いたほど...思わずそんな馬鹿なと思ってしまうが大きな木があったのは事実かも.....。
この木で船を造ると、とても速い船ができ、「枯野(からの)」と名付けられた。
その船で朝に夕に淡路島の寒泉を汲んで、運んで天皇の飲料水にしたという話なのです。
そして、船は壊れた後、塩づくりに使われ、焼け残った木で琴を作ったら、良く響いた....。
御食国であった淡路島の面目躍如といえばいいのか。
朝夕船便で結ばれていた淡路島は天皇家、縁の地といえそう。
恐らく木の舟「枯野」に使用した木はクスノキではないかと思う。日本書紀によると、木の適材適所は、須佐之男命が宣われたとあり、軽くて腐りにくいという特徴から、舟材(丸木舟)にはクスノキか杉を使いなさいとある。西日本では神社仏閣などのご神木はクスノキの大木が多く、また、大阪湾からも古墳時代のクスノキを使った舟が発見されている。
岩屋地区
「岩樟神社」淡路島の北端、岩屋港の向かいの恵比須神社奥、岩屋城跡がある城山の崖下の洞窟に祀られた神社。イザナギ・イザナミの二柱の神の間に最初に生まれた、蛭子命(ひるこのみこと)。
エビス様蛭子命は、体がうまくできあがっていなかったために、葦舟にのせられて流されてしまったという神様。その舟が流れ着いた場所が神戸の「西宮のエビスさん」、つまり西宮神社であり、 西宮のエビスさんの本家は岩屋であるという伝説がある。
また地元では、この洞窟はイザナギ尊のかくれられた幽宮(かくりのみや)であるとも伝えられています。洞窟には、古の祭壇の趾があり、ここは、現在でも祭器や御神体等の古びた物の納受場所になっている。(注意:地図では岩楠神社となっている)
御祭神:イザナギ尊、イザナミ尊、蛭子命
岩屋神社 御祭神は国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊の3神。
方位と天文学を駆使した日本唯一の神社として知られる。
神社の方向と陽の昇る方角と「節」との関連があるようだ....
十二支をあしらった方位磁石が天井に....そっくりな磁石は沼島八幡宮にもある。いつ頃作られたものかは不明である。
淡路島の北端から少し下ったあたりの岩屋漁港界隈には「国生み神話」ゆかりのスポットが集まっている。
御祭神がイザナギ・イザナミだったり、オノコロ島の候補地だったり....徒歩で神話ゆかりの地をのんびりと楽しめる。
この地の特徴的な点としては「蛭子命」が祭られていることかもしれない。「国生み」の一節では.....
なんと天磐樟船(あめのいわくすふね)という葦の舟に載せて流してしまうのだ。
船は摂津の国、西宮の浦に漂着し、そこで祀られて、恵比寿神となったと、伝えられている。
岩屋にはその蛭子を御祭神とする神社が2つ。もちろんイザナギ・イザナミを祭る神社も....
2つのミュージアムで古代を探る
洲本市立淡路文化史料館には淡路独自の文化の香り....
静に落ち着いて見学できる展示館。文化的な色彩が強い。淡路島独自の文化を知るにはここ!
北淡歴史民俗資料館 迫力の3500点が語りかける
なんと弥生時代の遺跡からの出土品が所狭しの感じで、驚いてしまう。明石の蛸!?古くからの食習慣であることに驚きつつ、それにしても淡路島は、どこでも掘れば遺跡が出てくるのではと思えるほど....遺跡が好きな人には堪らないだろう。製塩や海人族について知りたい人にはうってつけの資料館だ。
「貴船神社遺跡」が語るいにしえの淡路島
すぐ目の前に播磨灘・瀬戸の海
とにかく海が近い。道路一本を隔てた先には穏やかな瀬戸内海が広がっている。製塩遺跡が発掘されたのも当然....と思える。
遺跡は現在公園となっており、当時こうであったであろうと想像される製塩風景や竪穴式住居が再現されている。
海水から、暮しに欠かせない「塩」をつくる技術は海人族のもたらしたものだろうか...
野島の海人(あま)について
淡路島には「三原の海人」や「野島の海人」と呼ばれる人々がいた...。
日本書紀や万葉集にも記されているこれらの海人族は、淡路そしてこの国にどのような影響を与えたのだろうか。
国の成立にも大きな働きをしたのであれば、この地が「国生み」の神話と結びつくような気がする。
これからの遺跡調査での海人族と大和朝廷との結びつきの解明に期待したい。
淡路島で一番高い山が諭鶴羽山
諭鶴羽神社は山頂に近いところにある。この神社が開かれたのはなんと開化天皇(紀元前98年)の治世だそうで、その歴史の長さに驚かされる。
御由緒によると、諭鶴羽権現といわれ熊野権現の奥の院と称されていたそうである。
その経緯は....
...というものである。
「諭鶴羽山」「諭鶴羽神社」の南には「オノコロ島」の最有力候補地「沼島」があり、参道を登りながら振返るとその沼島が見える。
日本遺産 構成文化財の位置図(あわじ市域、洲本市域)
本日で「国生みの島 淡路島」シリーズ最終回となります。これまでの淡路島の皆さまのご協力に感謝いたします。
くれぐれも台風にご注意ください。
鎹八咫烏 記
補足
観光ポイント
滝川記念美術館「玉青館」(南あわじ市)
ため池や田園風景に囲まれた、日本ではじめての現代南画の美術館です。直原玉青画伯の描いた国清禅寺の襖絵に魅せられた地元の医師・滝川弘氏が、直原芸術を後世 に継承し、地域の文化向上をはかることを目的に設立しました。玉青画伯の水墨画を中心に、現代南画の作品を数多く展示しています。
三熊山・洲本城跡(洲本市)
洲本城跡は、市街地の南にそびえる標高133mの三熊山山上にあり、戦国時代から江戸時代にかけて淡路国統治の拠点となった城で、現在は往時をしのぶ石垣が残っている。城郭は戦国時代の様式をよく表しており、保存状態も良く、国の指定史跡、兵庫県の指定文化財に指定されている。城跡には東西800m、南北600mの範囲に総石垣造の曲輪(くるわ)が見られる。大手門を南に、天守を北の最も奥の最高所に設けて紀淡海峡を見下ろし、はるか彼方に大阪・堺の市街地を望むことができる。
現在の天守閣は昭和3年に展望台として建てられたもので、模擬天守閣(展望台)としては日本最古のものである。(※ 現在、天守閣へは入場できません)
三熊山は、瀬戸内海国立公園に属し紀淡海峡を一望できる景色が素晴らしく、たくさんの貴重な植物も自生している。春には山全体が薄紅色に覆われる桜の名所で多くの花見客で賑わう。
周辺は公園として整備され、競馬場跡や芝居好きのタヌキで有名な芝右衛門狸の祠など史跡も多く残っている。
生石公園・生石展望台(洲本市)
生石展望台は、淡路島の南東端にある生石公園内の展望台です。近くには文久3年 (1861)に設置された台場跡があり、森の中にはレンガ造りの遺構が見られます。大阪湾と紀淡海峡が一望でき、遠く大阪、正面には和歌山の町も望めます。地元住民には朝日の名所としても親しまれている。
あわじ花へんろ第31番札所(2月:ウメ)
成ヶ島を見下ろす風光明媚な高台に位置する生石公園は、島内有数の梅の名所として知られています。梅園には「紅うめ」と「白うめ」が約260本植えられており、春先になると、ウメのふくよかで甘い香りが辺り一面に漂い、暖かい春の訪れをそっと教えてくれます。展望台近くにも、ウメが植えられ、花の咲く頃には、海を見渡す景観を一層際立たせます。また、かつての日本陸軍が要塞を築いた砲台跡や要塞の遺構が今も残り、その面影を残している。
夫婦滝・別名 不動滝(淡路市)
滝が二つに分かれて、また一つの流れに戻ることから夫婦滝と呼ばれている。下流側から夫婦滝を眺めると、上流にかかる赤い橋が趣きある景観を作り出している。滝の上流の川岸には梵鐘やお不動さんを祀る社があることから、別命「不動滝」とも呼ばれている。夫婦(いもせ)めぐりコースの一つ。
淡路夢舞台(淡路市)
あわじ花へんろ第4番札所(通年:四季の花)
大阪湾の絶景と可憐な花風景、陽光と水とそよ風に、子どもづれのご家族も、大好きな人とのデートも、ワイワイお友だちも。楽しみ方自由自在のここは、心が遊ぶ夢空間。日常から離れてちょっとゆっくり、淡路のプチリゾートへ、ようこそ!
土砂採掘地から再生された花と緑があふれる複合施設
土砂採掘地から、花と緑で再生された快適空間。隣接する明石海峡公園と共に「ジャパンフローラ2000」(通称「淡路花博」)の会場となりました。各施設は建築家・安藤忠雄氏の設計によるもので、国際会議場を中心に、キク科の植物を集めた「百段苑」や、世界各地の植物を観察できる「奇跡の星の植物館」などが見どころである。
百段苑
山の斜面に沿って階段状に並んだ100個の花壇は圧巻。世界のキク科の植物をお楽しみください。
淡路夢舞台国際会議場
日本初のリゾート&コンファレンスとして評価の高い会議場です。快適な自然環境で質の高い会議に最適。
北淡震災記念公園(淡路市)
1995年に起こった阪神・淡路大震災。北淡地域は淡路島の中でも特に被害の大きい場所でした。阪神淡路大震災の爪跡を後世に伝え、防災の大切さを語り継ぐために建設された公園。震災後に露出した野島断層を140mにわたり保存・展示している。震災体験館では震度7の地震を体験でき、メモリアルハウスでは、保存された家屋で実際の震災の爪跡を実感することができる。レストラン・物産館も併設しており、地元の特産品を販売。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
一般社団法人 淡路島観光協会 〒656-0027 兵庫県洲本市港2-洲本バスセンター内
TEL.0799-25-5820
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表) 03(5253)4111