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酵素で生きる。

共闘。

2015.11.14 14:49



「私も一緒に悩みたかった。

いろいろとしてあげたかった。

    ちょっと羨ましい・・・」




過去形で話すこの人は、突如心筋梗塞でご主人を亡くされた(前述)。



その大親友が、ガン対峙の真っ只中にある。


家族ぐるみでの付き合いがある。

精神的にもずいぶん助けてもらった。

動揺・錯乱・絶望の淵にいたところを、

引き上げてくれて、包み込んでくれた人。



今度は、その大親友のご主人に突如突きつけられた、

がん告知と余命宣告。

しかも、主治医は「さじを投げた」。


ガン治療を行うための病院を他に探してはみるものの。

どこの病院でも提供する治療法に大差はなく、同じようにさじを投げた。


殆どのガン治療拠点・大病院は、がん学会が定めた標準的な

 がん治療のガイドラインを遵守しているからだといわれている



冷静ではいられない。

むしろ・・・明らかにパニクっていたらしい。挙動不審ささえも・・・。

ガンにいいと言われる物は片っ端から手をつける。

やみくもに、言われるがままに・・・。

あれも!これも!

焦ってるばかりでは何にもならない。


がん告知+余命宣告+治療放棄 = 死 。 

恐怖と絶望で、この方程式しかないと勝手に思い込んでしまう。


このときは、「死」をひたすら拒絶するだけで、

「対峙」するという精神状態ではなかったんだろう。



おふたりとも、子供二人もつ母親どうし。


今まで独りで抱え込んでいた。

不安で不安で、聞いて貰いたくて、話したかったんだろう。

母親同士がともに寄り添うことで、一変した。


オロオロしながら独りで闇雲に突っ走っていた。

今では、親友同士・母親同士で共闘してガンに臨まれている。

心強く感じることだろう。男前なことだ。

なかなかいえない本心、不安や心配事だって言える。

情報にしても、格段に増えるし、判断を仰ぐことだって出来る。

説明会や講演会にも3人で出掛けている。

精神的な焦りや不安を、取り除くガス抜き効果としての存在かもしれない。


ガンとの対峙。


患者本人だけじゃない。家族も、そしてその友人も参画しての対峙。


治療法の決定には関与せず、助言はいっぱいするというスタンスで、

寄り添う関係となっている。背中を摩ってあげる関係に。


その状況を聞いていて、とてもいい関係に思える。



「私も、いろいろとしてあげたかった」



心筋梗塞という予期もしない「終い方」で、最期を寄り添ってあげられなかった。

その想いが、悔しさが、冒頭の言葉に如実に表れたと思う。

そういう時間。目をそむけないで一緒に悩みぬくということ。話し合い。

そういう関与すらできなかったという悔しさ・虚しさからなのか。



羨ましい・・・という呟きには、
いっぱいの想いが詰まっている。