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フェスボルタ文藝部

おわりのはじまり(大谷健児)

2017.10.20 16:00

はじめまして! 絶好の無差別殺人日和ですね★どうも、大谷健児(おおたに けんじ)と申します。

健児の「健」は不健康・不健全の健、

そして健児の児は児童ポルノの児という、

デフォルトで重すぎる十字架を背負ったような惨憺たる名前です。ゆえに、うっかり善人面して「子供が好き」と言おうものなら、瞬時に宮崎勤呼ばわりです。

なので、石原慎太郎に怒られないような文章を書き散らして参りますので、どうぞ宜しくお願い致します。


※ ※ ※


ところで先月、私は買った。 そう、ブラジャーと、パンティーを。

なぜなら、久々のライブ出演だったからだ。

しかし、人は私に問うだろう。あるいは、嘲笑の飛礫を投げるだろう。


「なぜ、ライブにブラジャーとパンティーが要るのか?」と。

その至極真っ当な問いに、まずは物証をもって答えよう。

↑去りし日の筆者。一目で、心酔する尾崎豊から絶大なる影響を受けているのがお解り頂けると思う。今年3月末のイベントより。


とまあ、そういうわけでご明察の通り、私は純然たるアーティストである。

アーティストであるがゆえ、ブラジャーとパンティーが必要なのだ。


実は、写真のライブ時から2か月後、私は衝動的に捨てた。ブラジャーとパンティーを。

その後に訪れる新たなドラマの幕開けを知らずに━


※ ※ ※


あれは、冷え切ったキンタマさえも焦げつくような夏の午後だった。

ひとりの女性から、連絡があった。

「わたしが主催するイベントに出てくれませんか?」と。


おれはその時、ステージから遠ざかっていた。

新小岩の防空壕みたいなオカマバーでドサ回りをやって、

「何をやってもいい」

と言われたので勇んでフルチンになったら即時出入り禁止を食らったり、


川崎の、バイオハザードの初期に出てくる廃墟みたいなライブハウスでフルチンになったら、やはり光速で出入り禁止を食らったり、


諸般の事情によって幾多のメンヘラ女子と理不尽な裁判沙汰が続き、虚ろな夏を吉田栄作以上にノーマネーでフィニッシュしたりと、とにかく死にたさが臨界点に達し続けていた。


そんな折に賜った喜ばしきオファー。私はこれに賭けた。自らの愚かさに負け続けるあまり砂粒ほどとなった、僅かな再起の可能性を。

心の空に垂れ込め続けていた絶望の雲たちは、ささやかな決意によって霧消した。


しかし、私の前に、新たな壁が現れた。

それが、ブラジャーとパンティーだった。

厳密にいえば、ブラジャーとパンティーを購入するという行為だった。


決戦は金曜日━そんなタイトルの歌をかつてリリースしていたのは、ドリーミンなネーミングの割には犯罪者を堂々と輩出したユニットだったなあ。

そんなことを胸中に明滅させながら、私は向かった。

そう、ランジェリーショップへ。

そこは、内なる戦火を散らす場所。絶え間なく湧出する葛藤の渦と対峙する、心の荒野。


首都高で4トントラックに轢かれたaikoみたいな顔の女子大生2人組がはしゃぐ様子を見て、我がマラを軽く勃起させてる場合ではない。

そう、余計な矜持は彼岸に投げ捨て、いまこそ勃ちあがれ。


女性店員の冷たすぎるまなざし。女性客の蔑笑。時を刻むごとに澱みゆくように感ぜられる空気と、決壊しそうな理性。

それらを心の剣で切り刻み、私は闘った。



そして手にした。

ランジェリーという名の勝利を。



そして失った。

社会的な何かを。

勢いに乗じて、領収書も貰った。

この聖戦の証となる何かが、たとえ心もとなくとも、欲しかったのだ。



そしてこのランジェリーを纏って挑んだステージで、私は、ドンズベりした。

圧殺されそうなほどの熱気を孕んでいた会場は、皇族関係者の葬式を思わせる圧倒的な静寂に包まれた。



けれど、確固たる決意の下で粛々とランジェリーを買い、それを着た私がステージにいる。

それで、いいじゃないか。


勝ち負けに固執することは、時に自分を追い詰める。

思い通りにゆかないことが、却って人を強くさせる。


ランジェリーを手にしたあの日、私は、葛藤を乗り越えた自分が誇らしかった。

月の裏まで走ってゆけそうなほど、この胸はひたすら高鳴り、先々の日々に対する希望が、萎れそうだった心に点った。


あのときの気持ちを、いつまでも忘れずにいよう━


いま、ランジェリーを着てこの文章を綴りながら、改めて思うのだった。