む ぎ
万葉の花とみどり_麦 ムギ
馬柵越しに麦食む駒の罵らゆれど なほ恋しく思ひかねつも
作者未詳 巻十二 3096
『読み』まさくこしにむぎはむこまののらゆれど なおこいしくおもいかねつも
『歌意』馬が柵越しに麦を食って叱られるように私も母に叱られますけども、やはり恋しくてとてもその思いに耐えることができません。
日本の畑の原風景
馬が柵越しに麦を食べるというのは、柵(母親の監視)という障害を乗り越え、恋しい人に逢いたいと思う情愛表現。同様に「馬柵(うませ)越し」の表現は、次の東歌(巻十四・3537)にも見られますが、牧畜や収穫など、農村の生き生きとした生活のイメージが沸いて来ます。
柵越しに麦食む小馬のはつはつに 相見し子らしあやにかなしも
東歌 巻十四・3537
麦は、万葉時代にはすでに広く栽培されるようになり、日本書紀の神代に、粟、稗、豆、稲とともに五穀として称されています。他の栽培種に遅れること晩秋の十一月ころに播種、翌年初夏に収穫する栽培容易の穀物としてさかんに生産されてきました。味噌醤油、ビールの原料となるオオムギやパンやうどんの材料であるコムギに大別されますが、穂の並びやノゲの長さによりだいぶ種類もあるようです。生活に密着した穀物として大切にされてきた麦ですが、今や高収益率の農産物に取って代わられ、万葉歌にあるようなのんびりした牧畜情景は失われつつあるようです。子どもの頃、麦畑で遊んだ経験のある人は少なくなり、米と麦の収穫時期の違いがわからず、麦秋が麦の刈り入れの時期(梅雨のあたり)と聞いて驚く若者も多いようです。
「画 像」珍しいノゲの短い有色種:古代米研究家の田鍋充さん(故人)から頂いたものです。
管理者『妬持』の声
「だれかさんとだれかさんが麦畑~」の歌謡曲にあるように、かつては畑の収穫物の代表であったのが、今やその麦畑はめっきり減ってしまった感がありますね。家庭菜園で敷き藁にする藁すら入手困難とか…。