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Site Hiroyuki Tateyama

NEO-SHIBUYA 001

2017.10.21 01:04

高校2年でした。 

母を亡くした1980年のことは、例えば、毎日、学校へ通って何をしていたのか、まるで記憶にありません。 

卒業すると、寂しさとともに上京しました。

予備校に出してもらいましたが、高田馬場の名画座で映画ばかり観ておりました。

予備校には鹿児島の高校の同級生もいて、よくしてくれました。

でも、一番の友だちは映画でした。

慶応と早稲田と、いくつかの劇団を受けました。

父は再婚し、新しい家族ができ、鹿児島は帰るところではなくなりました。

そうして、寂しさを抱えたまま、私は俳優になっていました。


渋谷は、我が青春の舞台となった街です。