映画 白い家の少女
とても静かな映画でした。
ポッと小さく咲いた恋。
蝋燭が消えるような死。
最低限の必要なものが解っている少女が主人公だからなのか。
傷つきたくないなら他人と関らなければいい。
寂しくても、辛くても、困っても。
寂しい辛いの感情を殺し、困らないように知識を付ける。
しかし傷つけられるのを恐れていては何も生まれない。
助け合いも、愛も幸せも友情も。
人はリスクを背負って人間関係を作り上げていくんだなぁ。
また「大人」の基準とはなんなのか。
この映画には『大人びているが、まだ未成年の少女』と『子供のように傲慢な成人』
が出てきます。
「私の方が年上よ!」と謎の年齢主張と暴力で抑え込む人と、聞くに堪えない、中身のない正論をじっと耐え聞く子供。
どちらの方が大人なのか。
「無駄に年を取りやがって」
年上だから年下より人生経験豊富という訳ではないのだ。
この少女も死への関与や悲しみ、寂しさで言ったら出てくるどの大人たちに比べても経験が豊富であるし、逆に性や人間関係、車の運転で言ったら普通の少女と同じぐらいです。
できれば「私はここの部分に関しては貴方よりも経験が豊富なので一言言わせてくれ」と、
そう言ってからの注意なり主張だったらすんなりと受け入れることができるのになと。
この映画の主人公は作中で3人の人の死に関ります。
一人目は実母。
お父さんに「もしお母さんがまたヒステリーを起こしたらこれを飲ませなさい」と粉を渡され、紅茶に混ぜて飲ませたところ「アーモンドの味がするわ」と言い、死にます。
お父さんが渡した粉は青酸カリでした。
2人目はハレット夫人。
「私は家主よ!」と喚き、ズンズン少女の家に入り込み文句をつける。
無理やり地下倉庫のドアを開け、滑って頭を打ち亡くなります。
3人目はフランク。
ハレット夫人の息子で、母同様ずうずうしく作法の無い偉そうな人物で、
またペドフィリアであり、少女を狙っている人物。
フランクはラストで亡くなります。
母の死がここにあった事を知り、「黙っておくから仲良くしよう」と言いよります。
「紅茶を入れてくるわね。」
少女が自分のカップに父からもらったあの薬を入れて、持ってきます。
フランクも警戒している。
「君の、カップのお茶を貰おうか」
「アーモンドの味がするね」
「あぁ…君の髪は本当に美しい…」
少女の頭を撫でながら咳込み、息絶えていきます。
その様子を静かに、動かず黙って見つめる少女。
正直よくある心理戦です。
しかし少女の演技と映像の見せ方が素晴らしい。
死を静かに見つめる少女の表情はゾッとしました。
このフランクは少女が自らの意思で殺した人物です。
またフランクは母親に自分の性癖を恥ずかしいからと無理やり抑え込まされ、無理やり妻をあてがわれた人物であり、もしかしたらこの少女に対する気持ちは純情だったのではと。
力ずくで無理やり。傲慢で横暴ではあったが、もしかしたら恋ゆえの必死さからだったのか。
また少女の秘密共有をした、友人であり、恋人である青年マイクという存在があります。
彼の存在は「大人びた少女の人間味」を引き出す存在なのだとしたらフランクは「少女の狂気と決意」を示す存在だったのかなと。
サスペンスが好きな人は是非。