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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

神聖ローマ9-カール帝とは戴冠が違うのだよ

2017.10.23 14:46

結局身内に懲りたオットーは、教会勢力を重臣として登用し、弟ケルン大司教ブルーノを摂政にした。これが「帝国教会政策」であり、教会領を与えることで、諸侯の間に楔を打ち込むことができた。しかしそれにはヴァチカンとの関係が重要となる。

ところが運の向いてきたオットー、教皇からヘルプが来るのだ。あの因縁のイタリア王ベンガリオ2世がローマを攻め、オットーはこれを討って臣従させ、962年2月2日、ローマ帝国の戴冠を受けた。神聖ローマというのは後付けだが、この日を以て始まりとなる。しかしこれはカール大帝の逆で皇帝主導。教皇の任命は皇帝が行うという「特許状」を書かせた。

だがこの教皇ヨハネス12世はとんでもない生臭で、ヴァチカンを淫売宿にし、賭博を行っていたという。そしてオットーが帰るや、ベンガリオとマジャールを巻き込んでオットー包囲網を作ろうと画策した。オットーはまたドイツから取って返し、963年教皇をレオ8世に替え、自らイタリア王となった。

どっこいところが、オットーが引き返すや、ヨハネス12世が復位し、彼が亡くなるや、ベネディクト5世に。またまたオットーはローマを包囲して、レオ8世を復位させた。オットーはその後もイタリアに滞在。967年には息子を共同皇帝にしてドイツを任せた。この後歴代皇帝はイタリアと教皇に腐心することになる。

下はオットー大帝以来の神聖ローマ帝冠