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Slip Knot

「ポンコツは考えることを止めにしよう」

2017.10.24 17:07

僕は、小さい頃から「よく考えろ」と言われたが

この言葉すごく魔力めいた言葉だなと思う。

なぜなら

失敗する→考えろ→失敗は悪くて、考えて正解が善 という

「賢いことは良いことだ」とすり込まれるからだ。

もちろん、実際に自分が失敗しているし、さも正論のように聞こえるが

社会全体にこれが広まっていることがなんだかすごく不思議に思えていた。

こう結論づけることで

考えるのが苦手な人に疎外感が生まれ、

間違いをすぐ批判できる土壌ができ、

争いの環境が準備されるのではないだろうか。

ほんとうは、歩み寄る余白があるはずなのに

「は?お前馬鹿なの?」の一言で

お互いに思いやりが消え、優越感と劣等感と対立が起こる。

とても生産性が高い言葉である。

さて、あなたは、注意散漫だったり、

異常にケアレスミスが多かったりしないだろうか。

もっと賢ければ良かったのにと思ったりしていないだろうか。

こんな物言いをしているが

ぼくも「ポンコツ」の部類だ。

仕事をしているが、ミスを乱発しているし、

記憶がすぐに飛ぶので簡単な事を覚えられない。

3分前のことをすぐに忘れる…などなど

ぼくが人事を管理していれば、即職場から外すくらいには

使えない人材だと自負している。

ぼくは基本的にぼんやりしている。

視野ははっきりしているのだが、ものが見えにくい

音は聞こえているのだが言葉として認識しにくい

そのまま自分も夢を見ているようなぼんやりとした感じになってしまう。

こういう症状に

「統合失調」や「難聴」「発達障害」「注意欠陥性多動障害」とか

いろいろな形で名前がついている

ポンコツなあなたも何か名前がついているかもしれない。

周りからすれば変という話になるが

それは名前がそのようについているにすぎない。

だからまずそういうのは気にしなくていいとおもう。

もし、あなたが考えることで1ミリでも状況がよくなってるなら

あなたは「ちゃんとしている」

だが、そうでないのなら早々にその無駄なあがきは辞めてみてはどうだろうか。

僕らはたくさん考え

うまくやろうと必死になっているが

自然は、教えられるわけでもなく生態としてのルールに沿っている。

それぞれが、さなぎになり、花をさかえせたり、冬眠したりする。

彼らは「効率のいい羽化の仕方」みたいなことを考える能力はないかもしれないが

考えれない代わりに、何かを感じ取っているのではないか。

そして僕らも同じように感じ取ることで

「自分にとっての一番」やルールを発見できないだろうか。

この感じる方法は他の方から教えてもらったものだが、

非常にシンプルで、生きるのがとても楽になったのでオススメしたい。

それは

自分にまつわることをとにかく感じようとすることだ。

自分がどこにいるか感じようとしてもいいし、

何か自分にとって「求めてる答え」も感じようとすればいい。

自分が何者なのかを感じてもいい。

これらを気が向いた時に何度も繰り返しやってみるのだ。

もし時間が取れるなら、

併せて感じる範囲をゆっくりと広げていくとうまくいくように思う。

最初は自分の部屋から、家全体、街、県、国、星、銀河の果てまで

ゆっくりと好きなところまで拡大していく。

たぬきは山の生き物だが、陸の生き物で、地球に生息している。

このどこに属しているかで、その個体に必要なものがわかってくる。

山の生き物であれば、寝床と食料が必要だ。

陸の生き物であれば、海では生きることは出来ない。陸地が必要だ。

地球に生息しているなら、酸素はかかせない。

こんな具合に、所属範囲を拡大すればするほど、

その個体になくてはならないものが明確になっていく。

それをぼくら人間でもやってみようという試みだ。

これを行うことで、本当に大切にするものが明確になってくる

しばらくこの練習に取り組んでいると

自分のできないことを「能力のなさ」ではなく

「自分の生態としてそうなのだからこのようになる。」と感じられ

胸をはれるようになった。

「どうしてもそのようになるのだから仕方ない」と思えるのだ。

これは単純な開き直りではなく

「本当にこれが精一杯だ」と思えて諦められるようになる。

そして、これを忠実に守っている時は

不思議なことに、大きな失敗が起こらないのである。

いままでは

自分が失敗を回避しようとあれこれ考えて試行錯誤しているにも関わらず

突然想定外のことが起きて、大きな失敗になるということを何回もやってきた。

「頭で頑張ったのに失敗する」というのは

どうも労力に比例しているようで

策を尽くせば尽くすほど想定外の大きな事が起こりダメになっていた。

いまは逆に自分の精一杯でカバーしきれなかった点は

自然と改善策が思わぬところから湧いてきたり

考えていた「失敗」が全くそのようにならないことばかりである。

これは僕の考え方が下手なのもあるかもしれないが、

自分の生態として「考えると失敗する」ルールがあったのかもしれない。

逆に「考えすぎなければ大切なことを見落とさず案外なんとかなる」ということを

発見した。

さて、いまだからわかるが、

情報も人のことばも振る舞いも多くのほとんどは“なぜだかわからないが”

大切な情報が欠落している。

そんなぼんやりとしたものばかり

24時間365日 何十年と流され続けて

頭がおかしくならない方が変なのだ。

ちゃんとぼんやりできている人は

この情報性の欠落に無意識に気がついているから

「ぼんやりしてしまっている」だけなのだ。

だから考えることはとりあえず置いておいておこう。

周りに賢い人がいるならお任せしてしまおう。

そうすればすくなくとも

苦手な思考に体力を奪われないですむ。

比較をしなくて楽になる。

なにより不得意なことから解放される。

これほど身軽になることがあるだろうか。

しかし、なかなかそのように考える癖は抜けないものだ

僕もまだたまに自分で考えようするのだが、そのときはすぐ

「自分のことをそんなに賢いと思っているのか!31年間の完璧すぎるくらい不出来な実績を考えてみろ!!」と脳に号令をかける。

何度かそう言い聞かせてくると、脳も無駄に考えさせようとするのを

やめてくれるからおすすめだ。

今日明日で爆発的な変化はないかもしれないが、

すごくシンプルな方法なので興味があればトライしてみてほしい。

最後にもう一度、

僕らは賢さや能力と関係性を見直す必要があるように思う。

この「賢さ」や「能力」は評価が付随しているだけで、

きっと賢い人からすれば「感動した時に涙が出る」くらい自然な事だ。

そこで僕らはポンコツ族やぼんやり族は

「なぜ僕らは涙がでないのか」とか「一生懸命涙を流そう」という努力をしているのだ。

とても変ではないだろうか。

きっと感動できるツボ、つまり発揮できるものが違うだけで

もっと自然に発揮できる自分らしさに出会っていないだけだ。

賢さ至上主義は、もしかしたらぼく達を

「賢くないやつはダメだ」と洗脳して骨抜きにする為の戦略なのかもしれない。

こんなに徹底的に、集中的に、仲間が打ちのめされている実態を目の当たりにすると

「僕らこそ、この戦略化たちが封じ込めたかった何か力をもっているのではないか。」

という気がしてならない。

それを本当に発見できるかはわからないが、

せっかく自分として生まれたのだから

自分だけの『らしさ』を感じていけたらいいなと思う。

いまで不得意なことを強制させられてきたかもしれないが

もう涙を絞り出すようなことはしなくていい。と念を押したい。

この感じることの優位性は僕が大人になって

「1番教えてほしかったなと感じること」だ。

実践して、とても生きるのが楽になった。

もし、あなたがそこでまた違う「素晴らしさ」を発見したら

「声を大にして」周りに伝えてほしい。

きっとまだまだ「賢さが優れている」という価値観が崩れるには時間がかかるように思う。

まだ苦手なことに落ち込んでいる同族はたくさんいるはずだし、

あなたの感じた体験、言葉はきっと必要とされるに違いない。