ゆ り
万葉の花とみどり_ゆり 由利 佐由里 ユリ
筑波嶺のさ百合の花の夜床にも 愛しけ妹そ昼も愛しけ
大舎人部千文 巻二十 4369
『読み』つくばねのさゆりのはなのゆとこにも かなしけいもそひるもかなしけ
『歌意』筑波山に咲くあの優雅な百合の花のように、夜の床の中でもいとしい妻は、昼もまたいとしい。
優美な姿を女性にたとえる
ユリは、風にふかれるその優美な姿を麗しい女性にたとえられました。風に吹かれて揺れるから「ユリ」だそうです。また、「ゆり」という語には「後」という意味があり、花の百合に続いて「後(あと)」という表現が用いられる歌が少なくありません。次の歌でも、後にまた逢おうというような意味で使われています。
灯火の光に見ゆるさ百合花 ゆりも逢はむと思いひそめてき
内蔵縄麻呂 巻十八・4087
わぎも子が家の垣内のさ百合花 ゆりと言えるは否と言ふに似る
紀朝臣豊河 巻八・1503
遠くからでも目を引くゆりの大きな花は、観る者に向かってにっこりと微笑みかけてくれるようです。「さ百合の花の花笑みに にふぶに笑みて(家持 巻一八・4116)」「…草深百合の花笑みに 笑みしがからに…(作者不詳 巻七・1257)」では、「百合」と「花笑み」がセットで用いられています。
東のヤマユリ、西のササユリ
万葉では「さ百合」「草深百合」「姫百合」として詠まれていますが、該当するユリは主にヤマユリかササユリで、この二種類は糸魚川-静岡構造線を境にして、東にヤマユリ、西にササユリというように見事に分かれて自生しているのです。ただし、ヤマユリは九州の一部でも見られるのですが、これは栽培目的に移植されたため、分布地域を広げたためと考えられています。歌のユリも、作者である大舎人部千文が常陸国出身の防人であると伝えられ、筑波嶺という具体的地名を詠みこんでいるので、おそらくは関東一円に自生するヤマユリを指したものでしょう。対してササユリの方は、酸性土壌が苦手で栽培が困難なため、広がりの幅は小さく、ヤマユリほどではなかったようです。
「画 像」ササユリ
日本はユリ王国
漢名の百合は、球根の鱗片が多く重な様子を表わし、和名の「ユリ」は、茎に比して花が大きいため風にゆれることに由来するともいわれています。日本には二十種類ほどのユリが自生し、原種が多いことでも知られる世界に誇るユリ王国です。江戸末期、シーボルトがアジサイ、ツバキとともに、やはりこのユリの原種もヨーロッパに持ち帰ったのですが、19世紀のヨーロッパで、金色の筋入りのユリとして紹介され、大変な人気を博したといわれています。園芸店では様々なユリの球根を目にすることができるようになりましたが、これらは一度西洋に渡り、品種改良ののち逆輸入されたものが少なくありません。
救荒植物
球根(ユリ根)は、灰汁抜きをして軽く味付けをするとなかなか美味であり、戦中戦後の一時期には貴重な炭水化物源として多用されました。食に窮する時代の人々にとって頼りになったのは純国産種のユリであり、「救急植物」として記憶に止められている方も少なくないかも知れません。
管理者『妬持』の声
ユリというとあの強い香りと共に紅色の花粉が思い出されます。おしべが服に触れるとまるで口紅のようにべったり、その場で簡単に落とせるものではありません。家人にあらぬ嫌疑を受けぬためにも、事前にあれこれ言い訳しながら洗濯をお願いすることになりませんよう。