カペー朝3-王不慮死で誕生カッパのカペー朝
2017.10.27 02:37
986年、西フランク国王ルイ5世がその臣下たちに緊急招集をかけた。その目的は当時の宗教界最高権力者ランス大司教アダルベールを告発して裏切り者として裁判にかけること。ところが参集した臣下達が見たものは亡くなった王の遺体だった。
葬儀がすんだあとアダルベールは悠々と言ってのけた「キミタチ私を裁判にかけに来たんだろ?遠慮せず告発してくれたまえ」言葉を発する者は誰も居なかった。アダルベールは続けた「何もないんなら次の国王選ばなくっちゃね」どう見ても怪しすぎるだろうこれ!
数日後国王選出のために皆はまた集まった。候補者は2人、国王の叔父シャルルしかし彼は神聖ローマのロートリンゲン公、もう一人は1世紀くらい摂政の家系のユーグ。さて血筋をとるか力を取るか?アダルベールは「王はふさわしい者がなるべきだ」と言ってユーグ推薦、カペー朝が成立カロリング朝はなくなった。
翌987年、ノワイヨンにてユーグの即位式が挙行され、ユーグにクローヴィスの聖油が塗られて王となった。ところでカペー朝とは名字ではなく雨具の「カッパ」という意味。ユーグがいつも着てる長衣がダサいカッパのようだ、というので「カッパ王」と言われたのだ。
下はユーグ・カペーの戴冠