「ブレードランナー2049」、その感想。「2049年ロサンゼルスへ、2017年群馬県より。」(高柳孝吉)
フェスボルタ文藝部、初投稿は、ズバリ、「ブレードランナー2049」、その感想。「2049年ロサンゼルスへ、2017年群馬県より。」
前昨を観たのは、今をさかのぼる事35年以前、中学三年だった僕の目には、そのあまりにも鮮烈な映像"しか"焼き付かなかった。物語のハイパーさには付いてゆく事が出来ず、でもある程度まで僕なりには理解してはいたのかも知れない、と当時の記憶を想像する。物語は分かったけど、その面白さがよく分からなかった、と言った方が正確かも知れない。物語の舞台となる2019年が近づいた今になって理解出来るのだから、「ブレードランナー」という映画自体が、30年進み過ぎていたのかも知れない。
時は流れて、「ブレードランナー2049」、だ。公開初日、つまり昨日、観た。映画の時代背景となる文字どおり2049年からさかのぼる事32年前に、僕は既に涙ぐむ事になる。切なくも哀しい物語にあの暗い2049年という設定に用意された舞台は、あまりにも暗く、マッチしてしまっていた。言い方を変えると、未来のメカニズムに、あの哀しい話というギャップも感じてしまった。ネタばれは避けるが、意外な哀しくも幸福なラストシーンが、その直前の哀し過ぎる場面を、より際立たせ、強調する。人間の幸せは、何物かの犠牲の上に成り立つものだとしたら…。くそっくらえ!…………
そんな中、主人公に一途な恋心を抱く不思議な女レプリカント(人造人間)の行く末も涙で目を閉じずに、最後まで見届けてやって欲しい。あまりに素敵なエピソードを伴って彼女は…(涙)。
てな訳で、「ブレードランナー2049」、上映時間の長い間、うつし世から2時間45分映画館に隔離されて、電気羊の夢を観るべし!
ブレードランナー。もう会えないかも知れないけど、確かに観届けた。2049年ロサンゼルスへ、2017年群馬県より。
2017年秋、僕は確かに、レプリカントの中に人間の愛を見た。
筆、高柳孝吉。