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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

カペー朝5-オットー3世ヴァチカン鬼ごっこ

2017.10.29 06:37

983年のオットー2世の急死により、息子の3世はわずか3歳で帝位に就く。この一大事に母テオファヌが摂政についた。991年31歳の若さでテオファヌが亡くなると、祖母アーデルハイトが引き継いだ。嫁姑の仲は良くなく、テオファヌが亡くなったとき聖女アーデルハイトは高笑いしたと伝えられる。

994年に親政を開始した3世は、母テオファヌの祖国ビザンティンの影響で神権政治をめざした。教皇ヨハネス15世がローマ貴族の反乱で追放され亡くなると、996年ローマに侵攻。オットー1世の曾孫をローマ教皇グレゴリウス5世として選出、自身も皇帝として戴冠した。

しかし彼がローマを離れるとまたぞろ反乱し、グレゴリウス5世を追放して対立教皇を立てた。そこでまた逆戻り、グレゴリウスを復活させ、彼は古代ローマ宮殿跡のパラティーノの丘に宮殿を建て、東ローマ風の儀式を行い、「イエス・キリストの下僕」「使徒たちの下僕」「世界の皇帝」と称した。

999年グレゴリウス5世が謎の急死を遂げると次に自分の家庭教師をシルヴェステル2世として選出。しかし1001年にまたローマで反乱が起こり、宮殿を包囲されて教皇と共にラヴェンナに撤退、そして再侵攻を準備中の1002年マラリアで21歳の若さの命を閉じた。

下はジョセフ・エマニュエル・ファンデン作「オットー3世のアーヘン訪問」