一対一であることの、ひとまずの意味【僕らふたりの物語14】
僕とパートナーのけいこちゃんが、大変な道のりを超えて今のような関係にいたる物語。その14です。
シリーズの過去記事はこちらから
https://futakowataru.amebaownd.com/posts/categories/819316
******
たった一人を愛するというのはどういう事なのか。
僕らはそれぞれが感じてることを、かなり違う立場から何年かかけて正直に語り続けていきました。
それはけっこうしんどい作業でした。とはいえ、だんだんわかってきたことがあります。
***
僕らはこのトピックに限らず常に、お互いの間で感じた気持ちをすべて語り合っていました。すべて、というのがミソ。
とりわけけいこちゃんのマジックワードが「で、ふたこさんはどう感じているの?」というもの。曖昧さが残っている間はやめない。「う〜ん、それだとよくわからない。」といって許してくれません。
お互いが、二人の間で感じた気持ちのすべてを分かち合う。それも曇りなく曖昧さを残さずに分かち合う。そういうことをやっていったんですよね。
おそらくすべてのカップルがそれぞれ全然違う感覚・感性を持っている。僕らもそうです。
そしてそれは、ついわかった気になって放置することで、大きな溝を作ってしまう。
そこで、その都度、可能な限りお互いがお互いに感じていることをとことん聴き合う。わからなかったときに、まあいいか、と収めないで「ああ、そういうことなのね」とわかるまで聞く。
そうすると、それでしか開かれてこない愛の体験が見えてきました。
これは単に愛情のエネルギーを注ぐということではなく、二人で関係性を深め、あるいは紡いでいるんだ、と僕には感じられました。
愛を注ぐだけなら、何人にでもできる。
でもこうやって「関係を紡いでいく」相手は、僕は1人しか到底無理だなと思うようになりました。(この表現はけいこちゃんは気に入らないみたいなんだけど 笑)
1人しか到底無理だけれど、たった1人と是非やってみたい。これは面白すぎる。
日々新たな発見があり、その都度お互いの存在の新たな部分に、お互いの意識の光が当たる。
つまりお互いのより深い部分に愛の光が差し込んでいく。
なんて素敵なことなんだろうと思います。
***
あるときから僕らは、自覚的にこのような関係を創っていこうと握りあいました。真実の気持ちをすべて分かち合う。そのときに感じることを、自分自身を見つめ、成長させるための機会と捉える。そういう関係を築いていこう、ということを、しっかりことばで確認し合っていきました。
そうしていくうちに、自力でも、個人でセラピーを受けても、ぜんぜん見えていなかった部分に気づけるようになっていきました。
特に大きかったのは、胎児期・乳児期のトラウマ。その影響は根源的な世界観を形成していて、「ものは落下する」くらいに当然で疑いないものになってしまっている。
そういうレベルのものまでが、「あれ、これは何かがおかしい」とわかるようになっていきました。
僕の場合は、「さびしい」という気持ちとそれに伴う苦痛が全くないということとか。身近な人が感情的になっているだけで拷問のような苦痛を感じるところとか。
つづく