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こはる日和にとける

#6 ふゆのおまもり

2022.02.04 02:00


二月終盤のその日。

母は産院の桜が満開だった、と言う。



誰もが一笑に付し、またかと呆れる話だ。



わたしは「そんなことあるわけないだろう」と表向きは皆に合わせて笑うけれど、

ほんとうはその話を聞くたびに、微かな温もりのようなものを心うちに抱いてきた。



真冬に満開の桜。

しかも「あれは薄いピンクのソメイヨシノだった」と母は言い張る。

ありえるだろうか。

幼い頃からそのつど自問してきた。



いや。

ありえてもらっては困る。

ありえないからこそ、その話には価値があるのだ。



二月のその日とはわたしが生まれた日のこと。



一人暮らしの夜。

満員電車で押し潰される朝。

叶わない夢を片づけられない休日。



大人になっても、ことあるごとにその話を抱きしめるようにして思い出す。

わたしでいいんだ、と不安がすこしづつ、溶けるように消えていく。



ひとつ、冬が呼びおこす情景がある。



あれは小学三年か、四年の頃のことだった。

Nさんというクラスメイトの家に数人で遊びに行ったことがある。



当時、学習に遅れのある彼女のために先生は放課後補習の時間を設けていた。

そこにわたしと友人たちも参加させてもらい、Nさんとも徐々に仲良くなった。



そしてある日の放課後。



「今度、誕生日会、やる、から、来て、ほしい」



ふるえるようなちいさな声。

いつもより多いまばたき。

深爪で、赤く霜焼けた丸い指先がセーターの裾をひっぱっている。

ストーブが消えかかって冷えた教室だった。



その時のNさんの姿を、わたしはいまも鮮明に覚えている。



「いついつ?行きたい!」



はしゃぐ声と、大きなリアクション。

わたし達は彼女が絞りだした勇気に、たぶん、懸命に気づかぬふりをした。



約束の日曜日。

友人達と一緒にNさんの家を訪ねた。



一番うれしそうだったのは、Nさんのお母さんのように見えた。

お母さんは「白玉入りのフルーツポンチを皆で作りましょう」と、

大きなボウルやカセットコンロ、大きな鍋を和室のテーブルに用意してくれていた。



白玉入りのフルーツポンチは、その時の全員が初めて聞く料理だったのだと思う。

場は一気に盛り上がり、誕生日会の始まりからワクワクと気分が高まった。



白玉作りのお手本を見せてくれるNさんのお母さんもとても楽しそうだった。



けれど、ふと、見ると。

その指はNさんよりも赤黒く腫れ、痛々しく霜焼けている。



「お母さん、湯沸かし器使うのもったいないから、冬でもお水しか使わない」



ささやくようにNさんがわたしに耳打ちした。

わたしの視線の先に気づいてしまったんだと思う。

何も考えず凝視してしまった自分が恥ずかしく、NさんにもNさんのお母さんにも申し訳なく、

結局なんの返事もできなかった。




その後、白玉を捏ね、湯に落とし、浮かんできたら掬う工程を皆で分担して行う。

いつのまにか別のテーブルにはたくさんの料理も並べられていた。



このあたりから、記憶は断片的にしかない。



器にはできあがった白玉が缶詰の果物とともに甘いシロップにつかっている。

皆、おいしいおいしいとおかわりもしていて囲んだテーブルは益々にぎやかだ。

わたしは初めて食べるそれを恐る恐ると口に運んだ。



Nさんのお母さんは「家に友達が遊びに来てくれたのは初めて」としみじみと喜んでいた。




家に帰ると、わたしは真っ先に母のそばへ駆け寄り、その手を見た。

少し節ばったしっかりとした働き者の手をしている。



「お母さん、お湯、使ってね」

「なに?いきなり」

「お湯、使ってね」

「なんね。変な子やねぇ」



なぜ、そんなことを言ったのか、分からない。

ただ猛然と不安に襲われたのだ。

白玉を捏ねている時も、それを食べている時も、半分うわのそらで胸がバクバクしていた。





「誕生日の話は?」



子供の頃は不安になるとこっそりとあの話をねだった。



「ああ、あれね」

母はいつも嬉しそうに話し出す。

「お母さんが分娩室から部屋に戻る時に見えた桜の木が満開やった。綺麗かったぁ」

「真冬なのに?」

「ねぇ。不思議やけど、ほんとうよ」



桜もあなたの誕生を祝ってくれたのかもしれないねぇ。



その話の最後はいつもそう結ばれた。



ねだって聞いておいてこそばゆく、もじもじと頬が染まる。

次第に胸がじわじわと温かくなり、不安は溶けて消えていった。



NさんとNさんのお母さんの間にもそんなおまもりのような話があっただろうか。



あの日見たNさんのお母さんの嬉しそうな笑顔が、今も冬に呼ばれて時折よみがえる。







      

   text by haru     photo by sakura