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009「驚くべき小沢健二の世界観『流星ビバップ』」

2017.11.01 04:30



教会通りに綺麗な月

「教会通り」というフレーズは、オザケンの歌詞の世界でよく見られます。小沢健二が生活を送った環境が想像されるのと同時に、自身の実体験に基づいて歌詞創作が行われていることがわかります。



真夏の果実をもぎとるように 僕らは何度もキスをした やがて種を吐き出すような 固い固い心のカタマリ

「流星ビバップ」を一度でも聴いたことのあるひとは、この歌詞が最も印象的に残っているのではないでしょうか。

情熱的な恋愛を連想させる「真夏の果実」。

しかし、果実はいずれ腐敗するし、食べてしまえば種しか残らない。

この種を倦怠期に心のすみにある不満を暗喩している。

わかりやすくも、たいへん独特な切り口であるように感じます。


また、かたまりを「塊」ではなく「カタマリ」と表記されているところにも注目したい。

カタカナには不確定という要素が含まれているように感じる。というのも、小説でカタカナでサイトウと表記されれば、斉藤なのか、齋藤なのか、はたまた齊藤かは不確定です。

名前が不確定ということは、その人物のことを読み手は、感じで書かれているときよりも、自然とミステリアスに感じるものです。

この「塊」もいったい何ものなのか、正体がわからないことから「カタマリ」と表記されていることが推測されます。



長い夜に部屋でひとり ピアノ叩き水をグッと飲んで あん時誰か電話をかけてくりゃ涙だって流してた?

恋人とのケンカ後の夜。

一人でいれば、鬱だけが溜まって長い夜を過ごすことになるでしょう。

でも、ふと気の許せる誰かが、声をかけてくれたその瞬間に、涙腺が決壊する。そんな経験は誰しもあるのではないでしょうか。



そうしていつか全ては 優しさの中へ消えてゆくんだね

「優しさ」とは肯定的な意味で捉えられることもあれば、否定的な意味で捉えられることも少なくありません。

誰かを許す、ということは確かにポジティブな意味での優しさなのかもしれないし、同時に一種のあきらめである可能性もあります。

そのように考えると、歌詞中の恋人との別離など、さまざまな生活の中の憂鬱も、自分や他社の「優しさ」とともに過ぎてゆく時間の中に葬られていくのかもしれません。



流れ星静かに消える場所 僕らは思いを凝らす

長い人生の中で悩み落ち込む時間はあっという間。それはまるで流れ星が消えていくくらい刹那的ものなのかもしれません。

しかし、つらいことを忘れてしまうだけでなく、その消えてしまった場所に多くの優しさがあったことを忘れてはいけない。



流星ビバップ/小沢健二 歌詞全文はこちらから。



引用・参考▷『流星ビバップ』作詞・作曲:小沢健二