偉人『ナイチンゲールその幼少期』
毎日コロナ関連のニュースや専門家の記事に目を通すことを行っている。それはやはり教室運営を行う上で最も重要なことだと考えているからである。
特に沖縄の実情に合った見解を述べてくださる高山義浩医師の示すデーターと分析を読んでいると150年ほど前に医療に貢献したフローレンス・ナイチンゲールを思い出さずにはいられないのである。
今回は彼女が行った多くの功績の根源は幼少期のどこに存在すのかを考えてみることにする。
ナイチンゲールの行った功績は7つも8つもあるがその中で最も私が注目したのが著述力である。彼女はクリミア戦争後体調を崩し多くの時間をベッドの上で過ごし、その時間を看護に関する文献を多く執筆している。150以上もの文献と12,000以上の手稿である。
またその文献は彼女の情熱を裏付けする統計学で完成された数字での明白なデーターである。ではなぜ彼女が女性教育の考え方が希薄な時代に現代にも通ずる物を残し得たかを育ちと環境から紐解いていく。
ナイチンゲールはイギリスのジェントリーと言われる階級の裕福な地主の父ウィリアムと同じジェントリー出身の母フランシスのもとに1820年誕生する。誕生地はイタリア・フィレンチェである。両親の3年もの新婚旅行中に誕生したのである。ナイチンゲールは社交界デビューを果たしヴィクトリア女王への謁見も行う恵まれた身分に生まれた女性である。
上記の写真は父ウィリアムである。当時の恵まれた階級の女性教育であっても学問を深めることが珍しい時代に父は、家庭教師を付けナイチンゲールとその姉に教育を施していた。見識の高い父は更に優秀な家庭教師を付けようとするもそのような人材を探し出すことができず、自ら子供達の教育を行うことを決断した。ナイチンゲール12歳のときである。
その指導は大変厳しく母国語の英語のみならずイタリア語・ドイツ語・ギリシャ語・ラテン語の言語、哲学、歴史、数学、文章術を毎日何時間も指導したのである。介護の道に進んでからは各国で活動するに当たりその言語習得が実を結び幾たびかの困難を切り抜けたのである。
また子供の頃に大変興味を持ち好きだった数学が後の病院の衛生改革や野戦病院での死亡率を改善するためのデーター収集と解析、看護師である立場を超えた建築家に近い発想で病院建築にあたった。幼き頃受けた教育と好きな数学が役立ったのはいうまでもない。
そしてクリミア戦争後に健康を害しベッドで意欲的に看護に関する膨大な執筆をやり遂げることができたのも父ウィリアムの文章術の指導のお陰でもある。これらについては彼女自身の能力と努力というものが多くを占めていたにせよ、父の教育無しに結果を生み出せたかといえば無理だと考えている。
一方母フランシスは子供思いであるが裕福層としての意識が高く、ことある毎にナイチンゲールと意見の相違から衝突をした。当時のジェントリーなど階級の高い人々は子供は自分自身で育てるのではなく、日々の生活から躾も含めて乳母的存在の教育者に任せていたのである。とはいえ愛情がないわけではなく、階級を意識した立ち居振る舞いを求め確固たる人物との結婚を求めていた母にとって娘ナイチンゲールが数学を究めたいと望んだときも反対をし、看護の道に進みたいとしたときには父ウィリアムと共に猛反対した。娘の向学心に理解を示していた父にとっても看護の道へ進むことは許可できなかったのは、当時看護の道は貧しい未亡人やメイドを首になった人が行き着く汚れ仕事であったからである。
幼い頃のナイチンゲールは恵まれた環境で育った。広大な屋敷の庭を駆け回り、庭の植物を観察しその特徴を几帳面に描き留め図鑑のようにまとめた。父親からの教育を受ける前のこのような観察力が育っていたのは自然から受けた最高の贈り物である刺激があったといえる。巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチも同じようにスケッチをしその後大量の手稿を残しているが、ナイチンゲールも看護の道に進んでからは情報収集や分析にまつわることを大量に記録していることから何かを成し遂げる人物はこのような特性があるのだろう。
また飼われている馬や豚、ロバ、犬などの動物を可愛がり、敷地内の森に入っては野鳥に餌付けをし死骸があれば墓を立てて祈りをささげたそうである。またナイチンゲールが最初に介護した動物は教会内にいた骨折をした犬であった。屋敷を訪れる小さな子供達の世話をすることが小さな頃から好きであったのも弱きものの立場に立ち介護に当たる素養が既にあったのだろうと考える。
乳幼児教育の立場から考えると幼い頃からの環境は、必ずその後の人生に大きく深く関わってくることは間違いない。時に子供に与える最高の環境は何かを訊ねる方がおられるが、私なりの経験から孫はこう育てる方がよいであろうという考え方は持っている。しかしその考え方も常に更新している。なぜなら実際に子供達を教えていると新たな発見があるからである。『実際に学ぶことができるのは現場に於いてのみである』と語ったフローレンス・ナイチンゲールの言葉に深く同調している日々である。
次回はナイチンゲールの粘り強い精神性について論じることとする。