Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

現代医学を超えている民間の伝承医療 経験談

2022.01.19 05:13

天野成美さんの実体験談

   若干の誤字・脱字ご容赦下さい。


娘は現代医学で

   治らない経験で救われた❣️

    3日連載短編体験記①

   昔の智恵の伝承受けたかた

   貴方の日本の良き過去の知恵

   残しましょう。みんなの力で

   コメントお待ちしています。

カタカムナとは直接的関係では

有りませんが 明治時代の人たちは 

今よりもっと自然の恩恵を 

直接受けて生活の中に取り入れて

居ました。私も完全な

おばあちゃんですが、

私のおばあちゃんおじいさんは、

今の若い20歳位の人から見ると

おばあちゃんのおばあちゃん

おじいちゃんつまり4世代前の人です。

その時の火傷の治し方を子供時代に

聞いて育って居たので私は

娘の手を失わずに済みました。

次男に嫁いだ 私達はほぼ「ゼロ」からの創業でした家は二階建てのもう今は見なくなった下田屋(長屋の一種)でした。小さな家の中には事務所はもちろんのこと工場も自宅もありました。通いの社員やオフィスは一階で研究室と自宅は2階でした。娘が1歳すぎのハイハイをしている時です。

台所で夕食の支度をしている時、「ギャー」と言う娘の悲鳴を聞きました。泣き声では有りません 悲鳴です。扉一枚の隣部屋。飛び上がって走りました。

そこでみたものは 消し忘れて床に転がったハンダゴテ!焼きただれて真っ赤になった。娘の手 泣き叫ぶ娘の泣き声

誰か聞きてー。私も大声で叫んでいました。階下にいた 主人や社員たちは階段を駆け上ってきました。誰が見ても何が起こったかは明らかでした。主人は娘を抱き抱え 私も後ろから 走りました。

「すまん すまん」と主人も 走りながら叫んでいました。ハンダゴテを消し忘れた 後悔が頭の中を 渦巻いていたのでしょう。

3日連続体験記②

 医者に かけ込んだとき 看護婦さんも何が起こったのか。すぐに気づきました 急いで順番を入れ替えて 診察室の手配をしてくれました。今のように規則まみれになった 医療と違いのんびりと暖かい時代でした。他の患者さんも

心配そうに眺めながら どうぞどうぞと言ってくれました。

 せっかくの親切でしたが

娘の手を見た医者の言葉は

残酷なものでした

 残念ですが 今の医療では この火傷を直す手立てはありません。多分手を開ける事は難しいでしょう。痛み止めと抗生物質を出しますから、膿んだりしないように 気をつけて症状が治まるのを

待って手術ができるかどうかを

検討してみる必要があります

今、何もできないので 毎日 通院しながら様子を見て 今後の事は考えましょう と言われて注射を打ち 抗生物質と痛み止めを もらって帰宅することに

なりました。有名人の野口英男のように握ったままの手になるか。手術が進歩した分 手が開くようになるか いずれかが 私たちを待ち受けていた運命でした痛みのために泣き叫ぶ娘を

抱きながら2人で 会社の2階にある家へと帰っていきました

 私は以前おばあさんからどんなにひどい火傷でも早ければきゅうりで治るもんなんだよと話を聞いたことがありました       

 皆戦争に行く時 いつも 火傷のリスクと 隣り合わせだから きゅうりだけは 持っていったほうがいいと きゅうりを持ち歩いたもんだよ と 聞いていました

 それを思い出した 私は 何をしても今の医学で もう治らないのなら おばあさんに教えられた それをやってみたいと主人に言いました 特に何の手立ても思いつかなかった主人は やってみようとすぐに賛成してくれました  

 ばい菌が入らないように 清潔な水と洗ったきゅうりとおろし器と洗面器が必要でした。当時は電気冷蔵庫は既に

普及していましたが 氷を作るスピードはそんなに早いわけではありません  

 主人は氷屋さんに走り 私はきゅうりを10本買ってきてすぐにその中の1本をすりおろし始めていました。何の確約もありませんでした お医者さんに言うと

ばい菌が入れば 全身的な感染症の

心配もあるからと きっと 反対されたでしょう だからこっそりと 両親として自分たちで 全責任を取るつもりで

その民間療法をやりました

 その時にこんなことが起こるのなら

もっと詳しくやり方を聞いておけばよかったと 後悔しましたが おばあさんはもういません。そこで 自分たちの 知恵を絞って思いつくことを 真剣にできる限りのことをするつもりでした  

 氷水を作って 洗ったきゅうりを

すりおろし1本分を洗面器の中に溶かしましたそこに手を入れると痛みが取れるのか娘はヒクヒクと泣きじゃくりながら大声で泣くのが止まりましたこれはきっと痛みが取れたんだなと考えましたしかし2分もたたないうちに今度は冷たさで氷のようになった手手また泣き始めました今度は当初の心配をしなければなりませんでしたしかしいちど泣きやんだと言う事は聞く可能性があるとそこに一途の望みをかけて繰り返し繰り返しきゅうりの水に手をつけてはしばらくして外に出し次に痛みで泣き始めたらまたつけると言うことを繰り返し繰り返し祈りながら繰り返しました約5時間位だった頃でしょうか完全に握り締めたようになっていた指先の人差し指が少し開いたように動きましたそこに一筋の光を見たような気がして私たちはずっとずっと同じことを交代でやり続けました

冷たくてもなく痛くてもなく娘を見続けながらただただ何の保証もないけれどかすかなおばあさんの言葉の記憶を信じて丸一日24時間以上が経った頃にはては開けれるようになっていました手が開いた頃には娘も疲れ切ってぐっすり眠ってしまいましたやっと一息つくとともにもう一度握ったらまたくっついてしまいそうな真っ赤に焼けただれた手のひらを眺めながら1人ずつ娘の手を握って動かさないように番をしながら1人ずつ大人たちも仮眠をとりましたもちろんまた手相はもちろんのこと指紋も何もかも焼けただれたままでしたちょうど土日も重なって次にお医者さんに行く日にまで3日はありましたそこでひたすら手を握らないように祈りつつ見守りながら時間が経っていきましたその時驚くべき奇跡が起こったのです時間が経つにつれて赤みが減っていく手のひらはもう氷に助けなくても痛みが来ないのか半分眠っている我が子我が子は泣きじゃくることを止めていましたそして3日経って医者の最新に行くときには奇跡的にうっすらと手相と指紋らしき川が見えるようになっていました当時の医学では油薬を塗り抗生物質を与え治り具合によっては手術と言うのが当たり

前の時代私たちはこれを奇跡と言う呼べば良いのか医学は進歩しているのか昔の千絵で。まだ今小瀬れない日本の知恵は素晴らしいものなのかと言う疑問を頭の中に持ちながら娘だってては火傷の以前のように3日間で治る兆しを見せていましたさすがにそのお医者さんは何をしたのかと問いただされましたが正直に自分たちがしたことを話しました

そうですか?私たち医者がそれをお勧めする事はできませんが。親御さんの責任でなさった事は今の医学を超えた正しい判断だったと思いますよかったですね。とおっしゃってくださいました。