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超人ザオタル(51)境界を超える

2022.01.20 00:35

道をつくったのは私だ。

それは存在である私が世界へと変貌を遂げた道なのだ。

それはまた存在へと戻る道として残されている。

私が世界で自分を見失ったときにたどる道だ。


私は世界で自分を見失ったままでいられなかった。

自分が自分を知っていることは、一種の義務なのだ。

世界は存在を素材として創造された。

それは素材としての世界に対する責任のようなものだ。


いまよりも古い時代に私はすでに目覚めていた。

根源を忘れてしまった私は、そのときに思い出したのだ。

いまと同じように道をたどって、そこへと到達した。

その瞬間はゆっくりと時間の流れの中に浸透していった。


世界には時間があるために、目覚めが行き渡るのに時を必要とする。

その目覚めの波が、いま私に届いたのだ。

すでに私は目覚めていた。

なぜなら、その存在という根源には時間がないからだ。


アルマティもタロマティもその時間の流れの中にある。

道をつくったのもふたりなのだ。

必ずその根源に戻ることができる。

そして戻る義務があるのだ。


私が知った存在は、これでもまだ一部かもしれない。

それは人間の知能では計り知れないものがある。

分離して力を失った知性では及ばない理解もあるだろう。

それでも、まだ道があるなら、そこをたどって行くことができる。


理解という道はまだ続いているように思えた。

私はゆっくりと瞑想から浮上していった。

ザオタルの身体に戻り、その感触の広がりを感じ取った。

世界の空気を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。


目を開けると、まだふたりは瞑想していた。

部屋の中の空気が透明な存在で満ちている感じがした。

すべてが存在で、私はその存在というところでつながっていた。

目を閉じて座っている目の前のふたりさえ私なのだ。


そこに何の境界線もなく、それでいて世界の姿をしていた。

ふたりが瞑想しているときの静寂は私自身でもあるのだ。

すべてが存在であるということは、そういうことだ。

私は多少消化不良気味だったが、その感覚をつかんでいた。


ひとつでありながら分離している。

明らかに矛盾している。

だが、それはどちらかではなく、どちらも真実なのだ。

それが世界を超えたところからの理解なのだ。