青空に溶けてしまう症候群
「自分がこの澄んだ青空に溶けてしまうようだ」何処かで読んだ本の一節なのだけど、
凄く素敵でこころに残っている。
毎日こころを捉えるのが大変だ。
すぐにどこにいるかわからないし、
外出して帰ってこないとか良くある。
それまでは、サブメンバーでなんとか日常がほどけてしまわないように頑張るのだが、なかなか骨が折れる。
これは、こころの加速スピードが早すぎて僕自身『すぐに』見失ってしまうのだと思う。
気がついたら空を飛んでいることもあれば、知らない部屋でマッシュポテトを頬張っていたり、
次の瞬間はマンホールに耳を澄ましたりしているような、そんな目まぐるしさを感じている。
これを別画面で追いかけながら日常生活に対応しているのだが、
最近では、このこころの移動距離が大きくなって、記憶が飛んでしまう事がある。
あっちの世界に生きすぎているのだろうと思うが、こればっかりはどうにもならない。
記憶が飛ぼうが、こころを捉えきれなかろうが、僕は生き続けていて、
「次の瞬間には」また全身全霊で
現実に対処しながら、こころを追いかけていくのだが、これを「空間に溶けて行かないといけない」と比喩している。
また次の瞬間には全く別の溶け方があり、それを瞬時に感じて、トライ&エラーが永遠に続いていく。
これは、三途の河で岩を積むのに似ている。
すごく無限性があるのだ。
岩を積み上げて、壊されても、
また次の空間、事象に対して積み上げる仕事が待っている感覚がある。
すごく無駄なようだが、丁寧にそれをやり続けていると空間が歪み、
石積みが実は石積みではなく、
別の世界と更新(交信)することが
本質なのだ。とわかってきた。
割けるチーズのように
僕は分断されて、追いつけなくなるけど、そのままもっと意識を分断されても、「この丁寧さ」だけを全ての僕が一貫して大切にしていると、パラレルワールドに干渉していると感じる。
世界がブレ出すのだ。
この世界のブレと、僕が青空に溶けてしまう感覚はとても良く似ている。
世界に僕が溶けるのか、バラバラな僕がそれぞれの世界を揺さぶるのか、という入口の違いだけで、どっちも素晴らしく評価し難いのだが、
「ただ」
主体性があるほうがいくらか良いのかもしれない。
世界を振動させていて、
この有界点(融解点)の限界を目指したらどうなるのだろうかと思う。
いくつの世界まで、いけるのだろうか。
いまは5かそこらが限界だが、
これを100とか1000とか一緒に扱う事ができたら‥
となりの世界も一緒に捻じ曲げていくのだから、
瞬間的でも僕の影響力はとても大きいはずだ。
ただ、青空に溶ける才能をもって幸せで大変だった事が、
いくつか並んだ空を同時に鑑賞でき干渉できる才能だったと気づいた。
この多重化した世界を一緒に振動させるのは、何か筋力のような影響力が必要だ。
鍛えねばならないと思った。
僕が存在してる全ての瞬間と、
バラバラで接点がないそれぞれの僕が
同じムーブを一点に集中して行うと、
バラバラだけど、たしかに存在していると感じる。
世界を揺らしているのだと思う。
言い方を変えると
複数の僕が、世界に波紋を広げている
それが折り重なる瞬間の影響力を言いたかった。
そしてそこから新しい波が生まれているのだと、
ジョジョの読みすぎかもしれないが
そう思った。