ミステリー公演を観劇して
こんばんは、三輪忍です。
先日、「汝、公正たれ」を観劇いたしました。10月末には「マキコミシアター」も観劇させていただきました。P・T企画さんやイーピン企画さんの公演も観劇し、私の中で意見が固まったので、こうして記事にしました。
今回の焦点は、「不気味の谷現象」です。
(不気味の谷現象(ぶきみのたにげんしょう、英: uncanny valley)とは、ロボットや他の非人間的対象に対する人間の感情的反応に関する議論である。参照:Wikipedia)
ロボットの話ではないですが、参加型ミステリーは、この現象に陥っているような気がします。
現実の話に近づければ近づけれるほど、「ここは探索してもいいけど、ここはダメ」という線引きに違和感を覚えますし、鎖骨骨折で腕が使えないという表記の場合「全く使えないのか」、「肩を上げる行為は不可でも、何かを書いたり、ドアノブを回すことは可能」では推理の幅が広がってしまいます。こうした解釈のすり合わせを公演時間内に行うことは非常に難しいように感じます。
その広げた展開を収束させるため、参加者の投票でEDを決める手法は素晴らしいアイディアだと思います。
ですが、一つの物を見て感じることは十人十色であるように、「自分の意見が間違っていても真実が見たい」、「個人としての正答も欲しい」と言ったどちらにも長所と短所があるように思います。ED分岐の場合は、説得力と魅力がなければいけないように感じます。
私が思うに、舞台であろうと推理は知的遊戯なのだからそこまでこだわる必要があるのでしょうか。現実に近づけば近づくほど起こりうる不気味さで、物語に入り込みづらくなってはいないでしょうか。
なので予め、
1. 問題の提示
2. 人狼のような役職を参加者に与え、序盤は用意された台本を読む
3. 物語の分岐に合わせた展開でも、真実を解き明かすものもパッケージしておく
このようなことに注意しておけば良いように思います。以下にもう少し補足しておきます。
1. ミステリーは国語の問題です。出題者にははっきりとした目的があり、その目的をどこまで参加者が読み取れるか、というマークシートや選択肢問題ではない、記述式の問題です。
学校の定期テストでも、先に問題を読んでから問題文を読んだほうが頭に入りやすいのと同じで、簡単にでも何を考えなければいけないのかをはっきりさせておくことは必要に感じます。
2. ゲームの世界(例:ロケットランチャーでドアが壊れないから鍵を探す主人公)の中にプレイヤーが入っていれば、いかなる不自然さも気にしなくてもいいかもしません。
ですが、レクチャーもなく投げ出されると、その切り替えでまず頭を使わなければなりません。結果的にストーリーを楽しむ余地が一切なくなってしまう人がでてきてしまい、つまらなかったという結論に達する可能性が高いように感じます。せっかく参加するのだから、早めにそのような状態は回避しなければなりません。
3. 発言をさせることは大事です。私は超がつくほどの人見知りなので、最初に話さなければ最後まで壁と一体化しています。逆に、声に出して、発言する練習をすれば、その場の空気に安心感がでるので、途中からは自然に談義することができます。これはあくまで私の場合ですが、慣れていない人には効果があるように感じます。
他にも劇ならではの臨場感よりも推理を楽しみたい私としては何度も動画を巻き戻しながら夜通し推理するイベントがあってもいいような……。
ああ、面白そうですね。
映画と同じ原理で、動画を1本つくることで、そのあとの役者さんの負担を減らすことができるので、長期公演が可能ですし、EDをテンプレート作成しておいて、各回の参加者の名前を更新したデータを作成し、動画公開も簡単に行えるのは面白いように感じます。
数年前にあったナゾトキネマをミステリーナイトと融合させる……イメージは最近の衛星予備校ですね。講義を動画で確認し、そのとき理解しきれなかった問題や次の進行を、講師に聞くようにして、進めていくようなものです。
すみません、脱線してしまったので、今回はこのあたりで手を止めようと思います。
私だからこそできる何かが少し見えてきたような気がします。これも舞台をつくってくださっている方たちのおかげです。
まだまだやれることが多そうです。月曜日を休みにしたのは大正解だったようです。
三輪 忍