偉人『ナイチンゲールの強さ』
フローレンス・ナイチンゲールには7つの顔 1、著述家 2、看護の道を開いた 3、衛生改革者 4、病院の建築家 5、教育者 6、統計学者 7、マネージメントがある。これは私の独断で決めた顔であり、人によってはもっと多くの顔が生まれるであろう。2022年3月4日の記事『ナイチンゲールその幼少期』で既に著述家については幼少期に受けた父からの厳しい教育のお陰で獲得したことは記した。今回は彼女がなぜ看護の道に進んだのかを幼少期に目を向けて考え、彼女の強さの原点を探ろうと考える。
当時のイギリスの貴族や裕福層の地主などは女性の幸せは結婚だと考えていた。母フランシスも娘の幸せな結婚を望んでいたが、当のナイチンゲールは数学に夢中になりその道へ進むことを望んだ。しかしそれも受け入れてもらえず行き詰まりを感じていた頃叔母の計らいで家族が寝ている早朝に共に数学を学び心の安定を図った。
そしてこの頃イギリスでは裕福者と底辺で苦しむ人々の経済格差が大きくなり、また農作物の不作で多くの人々が貧困病苦に喘ぎ、裕福層は慈善活動を行うのが良しとされる風潮の中ナイチンゲールも家族と共に慈善訪問を行ったのである。その活動で貧しき人々の実情に触れ胸を痛め自分にできることは何であろうかと自問自答し続けた。そして看護の道へ進むことを模索する。
彼女は幼い頃から裕福な環境には何ら興味も関心もなく、母や姉のような裕福な環境に甘んじる価値観を持てずにいた。父と共に行う慈善活動で目の当たりにする貧しき人や病に倒れている人を放っておけない感情がピークに達したとき、看護への道に進む思いが揺るらぎのないものになった。家族の猛反対もあり思うように道が開かず苦悩し続ける中、幼い頃から面倒を見てくれた乳母を看護し見送り、貧しき人々の看護を慈善活動で行う日々の中、自らの意志を実現するためにはどうすべきなのか突破口を常に捜し続け、1951年意を決して自ら看護学校への入学を家族に伝えたのである。30歳を迎える年になっていた。
彼女は『クリミアの天使』と呼ばれることがあるが決して華々しい人ではない。子供の頃から内気で社交的な場所に出ることは好きではなく、看護の道に進むためにはどのような方法があるのかを丹念に情報を集め、期が熟すのを待ったのである。忍耐の中で時間を過ごした人物である。
この忍耐は子供の頃父と学んだ厳しい学習時期に形成されたのである。その頃に経験した粘り強く対応することが彼女の人生に活きている。これは私が子供達と接した経験から言えることであるが、我慢強い子は自制心が働き、物事に対する切替え方も早く、前向きな思考で解決に当たる能力も高い。ナイチンゲールもやはり幼い頃の父のハードな教育によって強くなるべくして強くなった粘り強い人物だと考える。
フローレンス・ナイチンゲールが親の猛反対に合い、クリミア戦争児の野戦病院では妨害を受けそれでも勇敢に冷静に状況判断を行い、弱き病める人々のために活動できたことは育った環境と教育、そして本人の強い意志があったからこそである。その彼女の直向な行動に周りの人々動かされたのである。最後まで援助し支えた貴族のメアリー・クラークや政治家ハーバード卿、活動するための基金創設を行ったモント・ミルズ、クリミア戦争で助けた兵士ら、共に介護の道で働いた同志らに支えられた。彼女に与えられた様々な事柄を考えるとき、そして世界の医療界に於ける看護の水準を上げたことを考えると使命を持って生まれた人物であると感じる。
彼女の残した言葉に『どんな仕事をするにせよ、実際に学ぶことができるのは現場に於いてのみである』とある。クリミアの野戦病院では疫病が蔓延していた。そして当時細菌が発見されていなかったにも拘らず、ナイチンゲールはそのことに気付き行政に働きかけ調査をさせた。すると野戦病院は下水道の真上に建築され無造作に床に寝かされていた負傷兵が次々に疫病で死亡することを突き止めたのである。野戦病院の医長が気付く前に現場で起きていることの状況判断をし結論を見極めたのである。この功績は細菌学が進歩し常識となった今は驚くことではないが、当時は細菌という概念も無いのだから言葉通り現場で学んだのである。
私が子供の行動や発言を注意深く見聞きしようとするきっかけを作ったのもナイチンゲールの『どんな仕事をするにせよ、実際に学ぶことができるのは現場に於いてのみである』という言葉であった。ドラマだか映画版だかは定かではないが踊る大捜査線の俳優織田裕二氏のセリフ『事件は会議室で起きているんじゃない!現場で起きているんだ!』をどこかで耳にしたのだがまさしくナイチンゲールの名言と同じだと印象に残っている。今から160年以上前のナイチンゲールの時代と現代の本質は何ら変わらないものであるということを改めて感じるからこそ、本質を大事に日々を紡ぐことを心掛けたいものだ。
ナイチンゲール、彼女の強さは幼少期からの厳しい教育と豊かな感受性、そして自らが持つ弱きものへの慈しみと信念によってもたらされたものである。