その手で 11.ナイと花火大会
夏祭りの踊りをテレビ中継で見ていた。叔父さんと素麺を食べて、意味の分からないことしか書いてない夏休みの宿題とにらめっこして、何度か電話ボックスまで行こうかと悩んでやめた。
イクは夏祭りに行くのだろうか。と気付いたときには今年の踊りの優勝チームが発表されていて、眠気と暑さが混ざった思考が止まろうとしていた。
叔母さんとおにいさんが一緒に帰ってきて、お土産の綿菓子を少しだけもらった。そのとき、おにいさんがぼそり、と言った。
「そういや、深澄の彼氏、ラーメンの屋台出してたぞ。明日も居るんじゃない?」
「深澄に彼氏?」と叔母が眉をつり上げる。
「あんたいつの間にそんなふしだらな娘になったの」
ふしだら。私たちの関係はそう表現されるのか。イクと私はただ一緒にいて、「忘れ去られた場所」で思考し、たまに触れる。一緒にラーメンを食べてゲーセンにも行った。それがどうしたのだろうか。イクに殺されることを望むだけなのに。
「いいじゃん、深澄も女なんだしさ。彼女作られるよりはいいでしょ」
おにいさんはニタリと笑った。そして「ちゃんと避妊はしなよ」と付け加える。
ヒニンってなんだろう。私たちがしなくてはいけないこと。でもおにいさんが言うことだからしなくてもいいのかもしれない。おにいさんの言葉に叔母の目が血走る。
「そんなこと許しませんから。いい加減にしなさい」
荒い呼吸に乗せられた言葉は殺気立っていて、叔母さんに殺されるのかな、と漠然と思った。怖くはないけれど、殺されるならやっぱりイクがいいな、と寂しく思った。
私は何も言わず、あてがわれた小部屋に戻った。黒猫のぬいぐるみを抱きしめて、明日はイクに会いに行こうと決めた。顔に触れると、口角が緩く持ち上がっていた。
叔母には「今日は家から出るな」とキツく言われた。
遠くで火薬が破裂する音がする。きっと戦時中は毎日こんな音がしたのだろう。暗い部屋でぬいぐるみを抱きしめているとイクを求めている私の命が飛び出しそうな気がした。
私の小部屋のドアがノックされた。開けると、叔父がいた。
「深澄、お前会いたい人がいるんだろ?」
私は顎を沈めて肯定する。
「アレは厳しいこと言うけれど、オレは深澄にもっと人生を楽しんで欲しい」
「人生を楽しむ」
叔父は皺の寄った笑みで、そうだ、と答えた。
「アレにはオレから伝えておくから、深澄は行ってこい。オレも昔は好きな娘と花火大会に行ったものだ」
そんなことも忘れちまったんだよ、アレは。
叔父は遠くを見て、自分の奥さんのことを「アレ」と表現した。夫婦の末路が見えた気がしたが、私がそんな関係になる人がいるとは今は思えなかった。
私はショートパンツにTシャツ姿で、足にサンダルをつっかけて外に出た。
「叔父さんは花火見ないの?」
叔父さんは寂しそうに「オレにはもう一緒に見たい人がいないんだよ」と答えた。
神社への参道は明るく香ばしい屋台が並んでいた。
浴衣姿の女性も多い。華やかで、下駄をからんころん鳴らして歩く。私とは違う人生を歩む人たち。死ではなく生を持って生きている人たち。
空では火薬が炸裂して光が飛び散る。見た目が美しい爆弾だ。あれに当たったら人なんて簡単に燃え尽きる。体内で炸裂させたら――そこまで考えて私は思考を止めた。
嗅いだことある獣の臭いがした。
「大将さん」
〈岩崎屋〉と書かれた暖簾。ラーメンの屋台だ。イクの姿を探す。見当たらない。どこ?
「あれ、ナイちゃんじゃないか。坂上と一緒じゃないのか?」
私は当惑して呆然としていると、
「坂上ならナイちゃんと花火見るって言ってたが、待ち合わせできなかったか」
こくり、と頷く。そもそもイクが私と花火を見るつもりだったなんて知らなかった。
大将さんは忙しそうにラーメンを作っては出している。獣の煮えた臭い。嫌いじゃないけれど、家族を失った日の臭いは確かこんな感じだったかもしれない。
「大将さん」
ん? と大将さんが顔を向ける。丸い顔から滴が流れ落ちている。
「イクって私以外に人いるの?」
大将さんは少し考え込んだ。眉間の皺で滴が押しつぶされる。
「人って、どういう人かな?」
私は人の属性を表す言葉を持ち合わせて居なかった。なんとなく思い出してみる。私にはいない『人』を。
「かぞく、ともだち、こいびと」
「そりゃいるさ。坂上は友達多いぞ? 家族も色々あったが――」
私はそこまで聞いてとぼとぼと歩き出した。履き慣れないサンダルが私の踵を少しずつ、でも確実に傷付けていった。