その手で 19.ナイと坂上家
イクの家は「岩崎屋」の三階にあった。
「汚いけど許してな」と前置きされたが、玄関を開けると腐乱した臭いがした。廊下にまで段ボールが乱雑に積み上げられて、何か分からない袋も混ざっていた。
「お袋、ただいま」
イクが声を張り上げるが返事はない。多分寝てる、とイクは独り言のように呟いた。
今にも崩れそうな荷物の山の間を縫って、玄関横の引き戸を開ける。廊下やその先に見えた居間(らしき場所)とは対称的に物が少なく、最低限の清潔さは保たれていた。
「びっくりしてないか?」
私は、ちょっとだけ、と返事をした。
「お袋が精神を病んでからずっとこんな感じなんだよ。物が捨てられなくてゴミ屋敷。いつもは奥の部屋で寝ているくせに、捨てようとすると激怒する。飲み終わったペットボトルですら捨てるのを嫌がるんだ」
イクはやっと呼吸できるとばかりにスプリングベッドに腰掛けて息を吐いた。私もいつものようにイクの横に座る。肩越しに感じる体温はいつも私に足りないものをくれる。命という暖かさを。
ナイ? とイクが柔らかい声で問う。何を問われているかは分からない。分からないけれど、私が求めているものとイクが求めているものは同じだということは分かった。
イクの顔がゆっくりと降りてくる。とても待ち遠しい、じれったい時間。私はそれを受け入れる。触れて、繋がって、私たちは落ちぶれていく。
ベッドの上で私たちは抱き合った。イクの匂いがする。イクの温度がする。イクの肌触りがする。イクのオーバードーズで死んでしまうのかと思った。けれど。
「イク、私、生きてるよ」
イクは小さく返事をして、私を抱きしめた。もう一度くちびるを合わせると、イクは熱い息と共に呟いた。
「ナイ、好きだ」
最初は赤の他人。でも今は、離れがたい命の飼い人。